1977-12-17 第83回国会 衆議院 予算委員会 第2号
○安宅委員 それでは、一番最初に出ていると思いますが、これは三都碍子工業株式会社の社長宋栄淳さんに対してあなたの方でお出しになった文書ですね。「日本政府は、昭和四十四年八月二日付ELナンバーPRO−M−六九−一三〇三三をもって碍子製造プラントに関するわれわれの契約書につき輸出承認したことを御報告申し上げます。
○安宅委員 それでは、一番最初に出ていると思いますが、これは三都碍子工業株式会社の社長宋栄淳さんに対してあなたの方でお出しになった文書ですね。「日本政府は、昭和四十四年八月二日付ELナンバーPRO−M−六九−一三〇三三をもって碍子製造プラントに関するわれわれの契約書につき輸出承認したことを御報告申し上げます。
昭和四十四年六月十六日「新韓碍子工業株式会社及び日商岩井株式会社/川崎重工業株式会社間打ち合せ及び確認事項に関する覚書」、これもここにありますが、あなたの方に渡っていますね。これは確認なさるでしょうね。
通産省に伺いますけれども、日商岩井株式会社から韓国の新韓碍子工業株式会社、これはあるいは当初の段階では会社名が別になっていたんじゃないかと思うんですが、三都碍子工業株式会社、こういう名前になっていたんじゃないかと思うんですが、これに対する碍子プラントの輸出について、通産省へ申請が行われたのはいつですか、これは。
然し、最終的には上記社はこれに応ぜず、代りに朝日碍子工業株式会社にお願いすることになりましたが、朝日碍子がコンサルタントを引き受けるに際し、弊社の当初の製造品目とは大巾に限定された製造品目となり、従つて施設機械も減少されたわけです。然るに当初の仕様は大巾に変更減少されたにも拘らず、これらの変更仕様によるプラントの価格調整は行つておらない点は、今後の課題として残されております。」、こう書いてある。
「日商岩井株式会社化工機械輸出部河原進二次長貴下」、「新韓碍子工業株式会社代表理事宋栄淳」、このうちの七項目、これ、非常に重要なことが書いてあるのです。ちょっとこっちへ来ていただけますか。委員長、いいですか。
この韓国国内の生産を目指そうということで、韓国政府の肝いりもあって、新韓碍子工業株式会社に対してあなたの方でやったらどうかということで、日本の輸銀の融資を使用して、これを愛知県の朝日碍子株式会社の技術設備をもとにして、川崎重工、それから輸出の業者は日商岩井を通しての輸出プラントは現在どのような結末になっているのか。