1968-08-05 第59回国会 衆議院 本会議 第4号
また、在日米軍基地の弊害は、かつての砂川基地反対闘争、水戸射爆場移転問題から、最近の佐世保港放射能汚染事件、王子野戦病院の開設、さらには九州大学ジェット機墜落事件など、枚挙にいとまがないのであります。また、上瀬谷基地付近の住民は、米軍の電波障害緩衝地帯設置に伴い、さまざまな規制把受け、普通の家庭生活すら営むことができなくなっているのであります。
また、在日米軍基地の弊害は、かつての砂川基地反対闘争、水戸射爆場移転問題から、最近の佐世保港放射能汚染事件、王子野戦病院の開設、さらには九州大学ジェット機墜落事件など、枚挙にいとまがないのであります。また、上瀬谷基地付近の住民は、米軍の電波障害緩衝地帯設置に伴い、さまざまな規制把受け、普通の家庭生活すら営むことができなくなっているのであります。
第二は、二十九年一月、国鉄本庁前の陳情に対する暴行事件、第三は、二十九年十月東京証券取引所争議におけるピケに対する暴力事件、第四は、砂川基地反対闘争における三十年九月、十一月、三十一年十月、三十二年七月の四回に及ぶ暴行事件、第五は、昭和三十年十月の死者一名を出した大高根基地反対闘争の農民にふるった警官の暴行事件、第六は、昭和三十二年国鉄広島に起きたデモ隊に対する暴行事件、第七は、やはり同年同月の国鉄門司
だとするならば、砂川基地反対にその民族的な情熱を沸かしている人々に対して、それではほんとうになお一そうの後援をすべきじゃないか、そういう結論にもなる、あまり簡単に出せば……。だからそういう問題は、もう少し歴史の推移ということを見てやらなければならない。あまり軽々にやってはいけない。歴史の推移には一進一退がある。
それに「砂川基地反対闘争に参加して」という早稲田大学の第一文学部三年の斎藤吉見という者の書いたものがある。それを見ますと、たとえば現地の情勢ですが、「半鐘が鳴って測量隊の侵入を知らせた。闘争本部のスピーカーは全員配置につけ、と叫んだ。乱闘服の私と友人の学生共産党員は第三ゲートに向って走った」云々。「私は友人の共産党員と顔を見合せ苦笑した。
昭和三十年十一月五日砂川基地反対に対する警備実施状態という写真が麗々しく誇らかにかけられている。千名以上の人間を傷つけて何が実施状況ですか、何が警備です。警察自体が国民を傷つけ、このような犯罪を犯しておるじゃありませんか。私はこれは決して政府の命令ではないと言わせない。