2004-03-24 第159回国会 参議院 国土交通委員会 第3号
この明日香村は、私は小学校のときは石舞台へ遠足に行ったりしたところでございまして、大変私も、多くのもう世界じゅうの皆さんに来ていただきたいと思っておるところでございますし、やがて私はこの明日香村でボランティアでガイドをやりたいという希望も持っています。蛍も飛ばしたいし、ガイドをやろうと思っております。
この明日香村は、私は小学校のときは石舞台へ遠足に行ったりしたところでございまして、大変私も、多くのもう世界じゅうの皆さんに来ていただきたいと思っておるところでございますし、やがて私はこの明日香村でボランティアでガイドをやりたいという希望も持っています。蛍も飛ばしたいし、ガイドをやろうと思っております。
私は、ついこの間までは明日香村から十分のところの橿原市というところに住んでおりまして、小学校の遠足等々は明日香村の、まだ石舞台に垣根ができていないところに弁当を持って、あの石の上に上って食べたとかという、もうごく近所におりまして大変幸せな生き方をやってきたなと思います。
私は、甘樫丘の周辺、あるいは川原寺の周辺、石舞台のあの横の飛鳥川に、もう蛍がいっぱいその季節になったら飛び交うというのは、私はこれはまた日本の心の安らぎを、同時にあの明日香、しかも世界的に今有名になっている明日香でそういうものをつくっていくのも大事ではないかなと。私の仲間とあそこで蛍を育てる会をつくって、そしてそれを実現しようと考えてくださっている人たちも今いらっしゃるわけでございます。
また、水落遺跡、伝飛鳥板蓋宮跡、酒船石、石舞台古墳それからキトラ古墳などを見ました。飛鳥時代をしのばせる全体的な景観の中に遺跡がまとまって残っている、そういうことに非常に強い感銘を受けました。 文化財保護審議会の答申では、「個々の遺跡だけでなく、それと一体となつている歴史的・自然的景観を含めて、それらを総体として保存・活用の対象とすること。」、こういうことを求めております。
そういうのが最近の文化というものの考え方なのであるならば、例えば三千院にしてもあるいはまた飛鳥の石舞台にしても、なぜにあのようなものを何百万人という人に踏ませたり、見せたり、さわらせたりしなくちゃならないのか。これが文化国家の姿勢であったならば、私はこれは間違っておるのではないかと思いますよ。
あるいはまた石舞台なんかを見まして、こんなにさせておいたならばこの石舞台の石も摩滅が大変じゃないかな、こう思いましてね。 今のような野方図な観光政策、そしていわば品位の低俗な観光の状態をしていったならば、尾瀬だけではありません、三千院、石舞台だけではありません、我々が神聖にして手を触れるべからずとしておきましたものが、文化の名において、学術の名において扉を開かれていく。
また、祝戸地区、石舞台地区、甘樫丘地区、高松塚周辺地区の四カ所については、四十六年度よりそれぞれ国営公園として整備が進められておりますが、これらについては、村当局より国営飛鳥歴史公園の整備促進に関する要望が出されておりました。
それから第二点のおただしでございますが、現在、古都保存法に基づきます歴史的風土特別保存地区といたしまして明日香村において指定をされておりますのは、飛鳥宮跡地区九十七ヘクタール、石舞台地区五ヘクタール、計百二ヘクタールという現状でございます。
例を挙げますと、たとえば特別史跡になっております高松塚古墳、石舞台古墳あるいは川原寺の跡、飛鳥寺の跡、大官大寺跡というように最古の官寺の跡が幾つかございます。
このような明日香村には、特別史跡として石舞台古墳、高松塚古墳、史跡として大官大寺跡など十二カ所、その他陵墓、目的不明の不思議な石造物など、広い地域にわたって遺跡等が分布していると言われております。 現在、明日香村では、全面積の約九〇%が何らかの特別な規制を受けております。
確かに明日香の村民がかつてこの明日香を大事にしたのは、昭和八年、末永先生を中心にいたしました石舞台の発掘調査の以後、明日香の村民の人たちは、この地下に埋もれている歴史のなぞというものを本能的に守らなければならないという、腹の底から彼らはそれを思っておりました。それは単なる欲でもなければ義務でもない、むしろ本能的な、素朴な村の心として本日までこれが守られてきたのであります。
ましてや文化財においても、地下に埋蔵しているだけであって、地上には半分壊れて、傷みだらけの飛鳥大仏と石舞台と若干の石造物が残されているだけで、他はどこにもない、平凡なところであります。現に、あそこに住んでいた女帝たちにおいてすら、あの飛鳥に住むことを喜びとしなかった。だから吉野に行幸されている、あるいは大津に都を移されている。
それからもう一つはっきりいたしますのは古墳でありますが、これは石舞台の古墳を初め幾つかそのまま残されておりますので、いつかあのあたりが草に覆われておりましたけれども、現在では周りが整理をされまして、石舞台古墳はだれが見てもすばらしい古代の記念物であるということはわかると思いますが、そのほかに、まだ飛鳥の各地域にはいろいろの建造物、たとえば酒船石と申しますような巨石建造物が残されております。
現在までのところ、明日香村に関係するもので申し上げますと、たとえば高松塚古墳とか石舞台古墳、川原寺跡、飛鳥寺跡、大官大寺跡、飛鳥板蓋宮と伝えられる宮跡、それから、飛鳥浄御原宮跡推定地の一部ではないかと言われている飛鳥水落遺跡とか飛鳥稲淵宮殿など十四件の相当重要な遺跡が、中には部分的でございますけれども出てきておりまして、これらは国の史跡に指定され、そのうち高松塚古墳と石舞台古墳につきましては、特別史跡
○瀬崎委員 その問題の芝生広場なんですが、石舞台古墳の周辺というのはもともとたんぼだったんですね。飛鳥では現状保存が非常にやかましく言われているのですが、なぜここを芝生に変えたんですか。
○升本政府委員 祝戸地区、石舞台地区、甘樫丘地区、高松塚周辺地区と分かれておりますけれども、祝戸地区におきましては研修宿泊所、展望広場、芝生広場等、石舞台地区におきましては、石舞台古墳の整備、芝生広場、休憩所、駐車場、甘樫丘地区につきましても、集合広場、展望広場、休憩所等、高松塚周辺地区におきましても、広場、休憩所、そういったものでございます。
○犬養参考人 一般の方が、たとえば飛鳥問題飛鳥問題というのでずいぶん——具体的な話ですが、大阪で、市場でたくさん買った人には何か紙をやって招待するとか、そしてそういう人が行くと何と言うかというと、飛鳥飛鳥って騒いだって何にもないじゃないか、汚らしい仏様と石舞台だけじゃないか、つまらないところを何をあんなに騒ぐ、これが一般ですね、何にも知らない方。
飛鳥の場合もやはりそれと同様でありまして、すでに盗掘をされ、あるいは破壊をされました石舞台古墳のようなものは、あの構造を調査する程度にとどまりまして、なかなかその被葬者を見きわめることはむずかしいのであります。
ほどから、先生のお話を聞きまして、また新しく心に刻ましていただいたわけでございますけれども、先生は山のたたずまいや川のせせらぎや、そしてササの葉の露に万葉の心を感じるというふうにおっしゃったわけですが、私もこのごろちょいちょい明日香へ参りまして、先輩の万葉に非常に詳しい議員の方のお話を聞きながら明日香を回るというようなことの中でそういうことが少しわかってきたわけですが、これまでどちらかといいますと、石舞台
続いて同日午後には、国立飛鳥歴史資料館、伝承板蓋宮跡、石舞台古墳、甘樫丘、高松塚古墳等を視察しました。 以上が明日香村調査の概要であります。 最後に、今回の調査に当たり、関係方面から本委員派遣に対して協力を賜りましたことを深く感謝し、御報告といたす次第であります。 —————————————
欽明・天武・持統・文武の天皇陵や石舞台や高松塚などの古墳をはじめ、飛鳥寺川原寺・橘寺・大宮大寺など多くの寺院・史跡や埋蔵文化財がのこされ、また万葉の飛鳥川・雷の丘・南渕山なども、むかしのままの姿で、古代のいぶきを伝えています。」 これは前村長である岸下さんが会長となって組織している「飛鳥古京を守る会」の趣意書の冒頭の文章でございます。
ですから、私はこの切手から関係しておるけれども、飛鳥は御承知のようにいろいろな問題が、石舞台一つをとってみても、飛鳥路一つをとってみても、単に文化財を保存するというだけじゃないのです。これはわが民族が、要するにわが国の歴史始まって以来の飛鳥時代ですから、どういう状態であったかをやはり知って、明日の建設のため、文化、科学の発展のために寄与しなければならぬわけです。
○小林(信)小委員 私は、一人で参りましたときに、石舞台のほうからずっとおりてきて、そして橿原市のほうへ行こうとしたのです。
このようなところが飛鳥全般につながっておりまして、藤原宮の中はもちろんでございますが、裏面の地図にございます香久山から皆さんもおいでいただきました石舞台にかけての二キロばかりの地域の間に、一ぱいそういう遺跡が並んでいるわけでございます。 私、昭和三十一年に飛鳥寺の発掘をいたしました。飛鳥寺というものは、日本で最初に仏教が伝わって本格的なお寺をつくったところだということを言われておりました。
ところが、実はこの飛鳥につきましては、この藤原宮を含めました範囲というのは、この飛鳥を中心にしましたところには石舞台のような非常に大きなお墓もあるのでありますけれども、奈良県のほかの地域と比べましてここは非常に古墳の少ない地域であります。
特に石舞台なんかのところは全く、観光に行った諸君の手洗いの設備もないので、やたらめっぽうに不潔な状態にしてしまうということが新聞等に報じられておりました。確かに私たちは、風土審の答申があったときにも実は批判をしたわけです。一体飛鳥を観光地にする考え方で取り組んでおるのか、そういうことはよほど気をつけねばならぬ問題ではないか。
それから石舞台古墳でございますが、これは巨大な石室が外に裸同然に出ております。これは、もともと墳丘でおおわれておったわけでございまして、そういう墳丘がなくて、ただ石がああいうふうに乗っかっておるというふうに誤解されますので、やはり多少の盛り土をいたしまして、こういうものであるということをわかってもらうというようなことも、今後やっていかなければならない。
施設整備とあわせまして、保存につきましても、飛鳥には、石舞台古墳なり板蓋宮跡なり飛鳥寺なり川原寺なり、いろいろなものがあるわけでございますけれども、具体的にどのようにして保存するか、その姿を村の人たちになるべく早く明らかにしていただく、そのことが、保存についての村人たちの共感を得るためには必要なことではないだろうか、こう考えるわけでございます。
たとえばいま保存が叫ばれております飛鳥へ参りましても、飛鳥の石舞台の周辺はビールとジュースのあきかんの山です。これが、ひとりそこだけでなしに、日本じゅうの観光地というものがそうです。なぜビールやジュースを――肉や魚のかん詰めばいたし方ないとして、びんでいいはずのジュースやビールを、どうしてこれほどかん詰めでやっていかなければならないのか。かん詰めのほうが確かに軽便であることはわかります。
それから飛鳥につきます一般区域が三百九十一ヘクタールございまして、そのうち飛鳥宮跡五十五ヘクタールと石舞台五ヘクタールが特別保存地区に指定されております。したがいまして、この歴風の審議会で考えております対象区域と称する区域の中の歴風の一般区域は六百三十九ヘクタールであり、そのうちの百八ヘクタールが特別保存地区に指定されております。
それから一番下のほうにずっと下っていただきますと、右のほうの端のところに石舞台古墳というのがございます。それからその右ちょっと上に岡寺というのがございます。それからその左のほうに、飛鳥板蓋宮というのが書いてございます。それからもうちょっと左のほうへ行きますと川原寺、それから橘寺というのがございます。
それから飛鳥板蓋宮、飛鳥寺、石舞台古墳につきましては、遺跡の環境整備をするための費用を要求いたしております。 それから資料館につきましては、総理府と並行しまして、われわれのほうでもこの資料館の費用を要求いたしておるところでございます。
ただ非常にまあ役所は何となくいままでは、悪かったかどうか知りませんが、誤解を受けて、石舞台なんというような、あれはお墓のわけなんですが、どうですか、名前が石舞台なんというと、必ず来た人があの上に乗るのです。
県当局から一般説明を聴取した後、唐古遺跡、特別史跡石舞台古墳、飛鳥遺跡、安倍寺あと、文殊院西古墳、大和歴史館、藤原宮跡、平城宮跡等の埋蔵文化財を視察いたしましたが、特に本委員会でも取り上げられ、目下問題となっております藤原宮跡と平城宮跡の問題について申し述べます。