2015-04-06 第189回国会 参議院 東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会 第4号
○田城郁君 やはり、国土交通委員会の中で私はずっと主張しているんですが、レールというのは一本でつないでおかないと、日本列島のどこで同じような、起こってほしくはありませんが、同じような震災が起こったときに、今回の場合も、日本海回りで石油列車を運んだり、そこから燃料不足が解消していくというような経緯をたどっております。
○田城郁君 やはり、国土交通委員会の中で私はずっと主張しているんですが、レールというのは一本でつないでおかないと、日本列島のどこで同じような、起こってほしくはありませんが、同じような震災が起こったときに、今回の場合も、日本海回りで石油列車を運んだり、そこから燃料不足が解消していくというような経緯をたどっております。
これは、磐越西線での石油列車のエピソードの一部を紹介した絵本なんですが、それが先日、三月十五日の日曜日にNHKでも放送されました。「ガソリン不足を救え!臨時石油列車」という番組の舞台になった磐越西線、ふだんは旅客列車の運行のみで、貨物列車は運行はされておりませんでした。
そういう状況下で、発災の一週間後、三月十八日、横浜市臨海部の根岸貨物ターミナル駅から岩手県の盛岡貨物ターミナル駅に、タンク貨車、JRのタンク貨車ですけれども、十八両、タンクローリーにして四十台分の石油列車が発車をいたしました。東北本線は多くの区間が不通となっていたため、日本海沿岸を北上し、青森から盛岡へと回り込むルートで、三月十九日、第一便が盛岡に到着いたしました。
現在のところ、被災の日から四日後の十五日には、国道四号と太平洋沿岸の国道を結ぶ十五の道路が利用可能となり、また、鉄道については、日本海側を経由しての被災地への物資を輸送するルートの確保をいたし、一週間後の十八日には石油列車の運行も開始されたところであります。
このように、鉄道輸送の特性である長距離大量輸送及び石油列車のような短距離ピストン輸送においては大変な力を発揮しておりますことを御理解賜りたいと存じます。 また、JR貨物の経営につきましては、国鉄時代の経緯もございまして、開業当初、大変厳しいものと予想されましたが、初年度以降六年間は経常黒字を続けることができました。