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3119件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2021-04-07 第204回国会 参議院 決算委員会 第2号

限りある資源で、例えば石油ショックのように止められてしまうとか、そういうことがインフレの一番大きな原因で、しかもそれは良くないインフレですよ。であって、今はそういう状況ではないのでしっかりと財政出動をすべきだということを申し上げているわけです。  この後、小泉大臣に質問しますので、黒田総裁はこの辺りで。また今度財金で質問しますので、よろしくお願いします。どうぞ。

西田昌司

2021-02-22 第204回国会 衆議院 予算委員会 第15号

第一次石油ショックの後に、当時の大蔵大臣になった福田元総理は、日本経済は全治三年という有名な言葉を残されました。お隣に座っている麻生副総理も、リーマンショックの後、同じ言葉を使われましたよね。  菅総理は、今のこの状況が元に戻るまで大体何年ぐらいかかる、そういうのをどう見ていらっしゃるんですか。

古川元久

2021-02-22 第204回国会 衆議院 財務金融委員会 第5号

これはもう今から五十年前に遡りますけれども、第一次石油ショックが起きて、それまでは前年の物価にスライドさせて賃金を上げていた、しかし、第一次石油ショックの前が狂乱物価のときで、その狂乱物価上昇分を第一次石油ショック後に賃上げで上乗せした。それによって、日本にはスタグフレーションという現象が起きてしまった。  

水野勝之

2020-06-03 第201回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第4号

ここもやはり潮目を読む社長が昔からずっといたわけであって、これ、やっぱり三十万トンタンカーを造ろうと思って九州行ったんですけれども、結局、石油ショックで受注が全く来ない。ところが、なぜかここの社長さんが、元の社長さんですね、七十メーターあればいい幅を八十メーターにしろと言って、全員反対するんだけど、いいからやれと、八十メーターの幅にする。さあ、それでタンカーの仕事が来ない。

藤本隆宏

2020-06-02 第201回国会 参議院 経済産業委員会 第11号

エネ庁ができたのは昭和四十八年だと思いますけれども、石油ショック等あり、しっかりとエネルギーを確保していこう、そして電力を確保していこうという中でできたものだと思っております。そうした中で、今度はやはり自前のエネルギーを持たないと安全保障上大変だという中で、いろんな取組をしているわけであります。

梶山弘志

2020-02-26 第201回国会 参議院 資源エネルギーに関する調査会 第3号

つまり、天然ガスとか褐炭とか原油が、皆さんも御記憶の方もいらっしゃると思いますが、第一次石油ショック第二次石油ショックそして最近ではリーマンショックと、そういうイベントごと化石燃料、特に石油価格とそれと連動する天然ガス価格は変動するわけですが、そこに空から隕石が降るように落ちてきている、これが何かというと、太陽光なんです。この勢いで下がってきているわけです、コストがですね。  

飯田哲也

2019-05-15 第198回国会 衆議院 財務金融委員会 第13号

なお、対外的な理由で、例えば、原油価格が大幅に上がった、第一次石油ショック第二次石油ショックとありましたね。そういう場合の対応として、第一次石油ショックの教訓から、第二次石油ショックのときに日銀も含めて各国中央銀行がわかったことは、石油価格の大幅な上昇というのは、外的な一種のサプライショックというか輸入コスト上昇、それを一切物価上昇に反映させないように徹底的に引き締めるということは適切でない。

黒田東彦

2019-04-24 第198回国会 参議院 資源エネルギーに関する調査会 第4号

水力から石炭へ、石炭から石油へ、石油ショックを踏まえた脱石油の動きから原子力が主流となり、東日本大震災の件もございましたので、現在、再エネ、脱原発の流れが出てきたわけであります。そういう面では、共通する部分というのは、一つのエネルギーに依存することなく、やはりエネルギーミックスの組合せというのは大変重要ではないかということが共通面として言えるのではないかと思っています。  

赤池誠章

2018-06-28 第196回国会 参議院 内閣委員会 第22号

我が国にとって、経済連携の推進、これは道半ばであると、このように考えておりまして、かつてエネルギーの調達においても、石油は中東から幾らでも買えると、こういう油断がある意味一九七〇年代の石油ショックまさに油断ちなんですよ、これにつながったと、油断油断ちにつながったわけでありまして、手を緩めることなく、TPP、RCEP、そして日EU・EPAと、こういった経済連携進めてまいりたいと考えております。

茂木敏充

2018-06-05 第196回国会 参議院 経済産業委員会 第11号

まず、今回審議されている省エネ法ですけれども、これは一九七九年の石油ショックをきっかけに制定されたものであるということで、それまで、日本経済というのは高度経済成長ということと大量消費ということを言われていたわけですね。今後は省エネルギー省エネを進めようという方向に転換することになったその法律であるというふうに解釈をしております。  

真山勇一

2018-04-18 第196回国会 参議院 資源エネルギーに関する調査会 第5号

その一方で、戦後、我が国経済大国になる中で、本当にエネルギー問題で、石炭から石油、また石油ショックを経て原子力ということで、エネルギーミックス戦略というのが我が国立地特性、また我が国の歩みにとって、また将来を合わせて、これは変えられない戦略なんだろうなということも考えているところであります。  

赤池誠章

2018-04-11 第196回国会 参議院 資源エネルギーに関する調査会 第4号

あんな命令、私は初めてですけど、当時の建設省の命令じゃなくて国家の命令だったんです、第一次石油ショックのときの。あのときパニックになった、日本国中がパニックになったときを私は覚えていますので、パニックにならない前に今から関係省庁が話し合って、全ての装置についてエネルギーをやっていこうというのが私の今の考え方でございます。

竹村公太郎

2017-05-12 第193回国会 衆議院 経済産業委員会 第12号

つまり何が言いたいかというと、これもまたいろいろな議論はあるんですけれども、健全なインフレ、いいインフレと悪いインフレがありますから、石油ショックなんかは最高のある意味ではインフレですから、これは決して経済にいい話ではないので、いわゆる需要喚起需要型の、物価が上がるということは、マイナスよりはいいというふうに思います。

北神圭朗

2017-04-06 第193回国会 衆議院 本会議 第17号

振り返りますと、サンフランシスコ平和条約の締結と独立、米ソ冷戦、六〇年日米安保の改定、一九六四年の東京オリンピック石油ショック狂乱物価など、幾多の困難や歴史の転換期に遭遇をいたしました。  とりわけ、一九八九年ベルリンの壁の崩壊から始まった一九九一年ソビエト連邦の解体の衝撃は、戦後史を一変させる出来事でありました。

土屋正忠

2017-03-22 第193回国会 参議院 環境委員会 第4号

我が国は、かつて石油ショックでありますとか公害問題、深刻な公害問題を乗り越えて今の日本を形作ってまいりました。そのことは、同時に、世界に冠たる環境技術を獲得したという歴史でもあったと思います。  昨年十一月に発効いたしましたパリ協定の下、世界は脱炭素社会に向かって間違いなく動き出しています。

高橋克法

2017-03-14 第193回国会 衆議院 環境委員会 第4号

先ほど申し上げた、石油ショックの後、各国政治家がどのように判断したのかという話が今につながってきているわけでありまして、そういった意味では、福島原発の事故を受けて、政治家政治がどのように判断するかというのは極めて重要なタイミングだと私は思っておるものですから、そのことを申し上げて、私の質問を終わります。  ありがとうございました。

小沢鋭仁