1949-04-01 第5回国会 参議院 本会議 第7号
九十二議会において、この財政法が通過いたしますときには時の石橋藏相は、この財政法は、極めて民主的な財政法である、その見地から十分國民に推奬し得るところの財政法であるというふうにはつきり明言いたしましたし、当時の議員も、すべてこれを我が國の財政の民主化のために非常にいい法律であるとして、全部賛成したのであります。併しその後、この財政法がやはり種々二三回に亘つて改正されました。
九十二議会において、この財政法が通過いたしますときには時の石橋藏相は、この財政法は、極めて民主的な財政法である、その見地から十分國民に推奬し得るところの財政法であるというふうにはつきり明言いたしましたし、当時の議員も、すべてこれを我が國の財政の民主化のために非常にいい法律であるとして、全部賛成したのであります。併しその後、この財政法がやはり種々二三回に亘つて改正されました。
かつて石橋藏相が、あの、教育などはどうでもいいのだ、文化はどうでもいいのだ、まず食うことが大事だと、悟淡たる氣持で放言した事実がありまするが、その衣鉢を継ぐ大藏大臣は、財政政策の上において、文化はまことに微々たる影の星のごときものでよいと思つておられるのかどうか。
に今回の積極的の対策に係わる六項目、引揚同胞対策審議会の設置と言い、引揚者の一ケ年免税と言い、住宅の心配、留守遺家族に対する援助、特に企業に対する助力更生対策、在外資金の喪失、幾年努力の結晶たる資産をなくした、こういうことに思いをいたしての対策、生産資金を格別に重要なる政策とせねばならんといつた氣持、かかる折柄、私はここに最後に強く申して見たいのは、過ぐる二十一年一月二十二日に、時しも吉田内閣、石橋藏相
これは吉田内閣の当時でありますが、この部屋において、米窪氏が石橋藏相に向つて、争議の際にはその争議中の給料も拂え、争議の費用も負担しろというようなことを非常に主張されて、また生産管理も正定だというようなことを主張されて、非常にここで激論をされたことを私は思い出すのであります。ところが現内閣になりますと、この生産管理については、加藤労相もいくらか意見が変つてこられたようである。
厚生同胞協力会の綿引理事長、小川理事等がいつている自由党への「一千万円献金」はデマで、厚生同胞協力会と自分との直接関係はない、協力会関係は水野氏の方で扱つた、なお自由党から私が立候補した際辻氏の口添えで公認となり、また当時の石橋藏相が陣中見舞に私の選挙事務所を訪ねたり、そして私はこれなら大丈夫とますます確信を固めていたところ、待ちわびた軍服はあり騒ぎで一着も出ず今日の有樣となつて私は非常に遺憾に思つている
その意味におきまして、門外漢の私が、時の自由黨内閣の石橋藏相と親の敵と思いまして大いに戰つたつもりであります。けれども、何も役に立たなかつた。何も役に立たないで、一年四箇月經ちました今日におきましては、その當時五十五圓でやみ買いをして、米を職人に食わしておりましたが、今日では百七十圓になつてしまつた、一年四箇月の間に三倍半以上の騰貴となつてしまつたのであります。
この場合において、しかも困難な國家財政の上からみて、石橋藏相は千百四十五億圓の豫算を組んで、これが健全財政なりと主張し、そして追加豫算は出さぬとまで言明した。
今まで昨年末から、私は諸君とともにこれは心配しておつた點なんでありまして、吉田内閣當時の石橋藏相が昨年末から貸出を停止したそのときから響いてきておる。そのときから私は非常に憂慮しておつた。
なおこの關係については前議會において社會黨の代議士諸君から質問があつたとき、石橋藏相から答辯した點もあろうと思いますから、御參考に供してもらひたいと思います。石橋委員長が第一囘の委員會において隱退藏物資摘發處理の方針を述べ續いて實際の責任は世耕君が負つてやつてもろうことにした。よつてこの際諸君の協力を求むと述べ、なほ危機突破の必要上、場合によつては少しくらいの無理はやむを得ない。