2000-03-07 第147回国会 衆議院 本会議 第8号
自分が真に私淑したと言えるのは、石橋政嗣先生だった」と述懐されていたと聞きます。 その言葉どおり、前島先生は、石橋氏のもとで、同氏の書記長時代には党派遣の秘書として気配り十分の仕事ぶりを示し、委員長時代には再度の総務部長として書記局の切り盛りを一切任されるなど、期待されたとおりの働きをされたとお聞きします。
自分が真に私淑したと言えるのは、石橋政嗣先生だった」と述懐されていたと聞きます。 その言葉どおり、前島先生は、石橋氏のもとで、同氏の書記長時代には党派遣の秘書として気配り十分の仕事ぶりを示し、委員長時代には再度の総務部長として書記局の切り盛りを一切任されるなど、期待されたとおりの働きをされたとお聞きします。
そして、平成二年二月、第三十九回衆議院議員総選挙において、前社会党委員長石橋政嗣先生の後継者として指名されるや、日本社会党公認候補として勇躍立候補し、選挙民の力強い支持を集めて、見事トップ当選の栄冠を獲得されたのであります。(拍手)同じとき、私もまた君の後塵を拝したものの、当選を果たすことができました。
我が党は私と安倍晋太郎君、石橋政嗣先生と先生、四人の、他の役所関係もまだ皆課長さんでございましたけれども、今皆さん総裁になったりいろいろしていらっしゃいますが、そういう感懐を込めて、今は確かにこの委員会でも村沢先生もそうですし、予算委員会におりますと久保田真苗さんもそれから安恒さんも、大正十三年というと大宗をなすような今感じでございますが、当時は少のうございました。