1977-11-02 第82回国会 衆議院 法務委員会 第5号
この事実とこの問題とがどの程度絡んでおるかということの判断はこれは人によって分かれるところと思いますが、石井団長のお話を承りますと、奥平が乗った後はわが方においてはすでに何物も——身のしろ金も全部いっておるわけでございますし、奥平を最後に犯人が全部乗機しておるわけでございますので、これは四十人の乗客解放に役立ったという御判断を伺っておりますので、人命救助のためのやむを得ざる御判断であった、かように考
この事実とこの問題とがどの程度絡んでおるかということの判断はこれは人によって分かれるところと思いますが、石井団長のお話を承りますと、奥平が乗った後はわが方においてはすでに何物も——身のしろ金も全部いっておるわけでございますし、奥平を最後に犯人が全部乗機しておるわけでございますので、これは四十人の乗客解放に役立ったという御判断を伺っておりますので、人命救助のためのやむを得ざる御判断であった、かように考
ダッカにおきます当時の状況でございますが、当時におきましては、まず人質全員釈放のためのできる限りの、しかも、最後の可能性をどこまでもとにかく試してみるというふうなそういう状況にございまして、石井団長が緊急の判断によりまして、やむを得ざる処置として、旅券冊子六冊を、その時点におきまして、犯人奥平の最終説得に当たっておりましたマームド参謀長に対しまして手渡しまして、奥平にそれを渡すか否かの判断を一任されたわけでございます
また、旅券の問題につきまして、政府代表の石井団長が、ハイジャックされた機内でもって犯人と接触したという点につきましては、これは外務省の方から答えていただきたいと思います。 以上でございます。
十月一日午後二時半ごろ、石井団長以下が現地に到着し、人質の全員釈放について努力しましたが、犯人側は六百万米ドルと釈放囚人六名とを引きかえに乗客五十九名を解放することに固執いたしました。 十月二日早暁、犯人側とマームド参謀長との合意により、釈放囚人六人及び六百万米ドルと人質との交換を六回に分けて実施することになり、午前七時過ぎまでにこの条件に基づき、人質六十人が解放されました。
ただ、石井団長を初め外地へ飛ばれて非常に御努力をなされた皆様に深く感謝いたしまして、今後ともこのハイジャック問題あるいは墜落事件問題について当局がなお一層の前向きの姿勢で御努力賜ることを重ねてお願いいたしまして、質問を終わります。ありがとうございました。
したがって、これはもう石井団長さん、政府でもいろいろ救出対策を講ぜられましても、結局人の犠牲は絶対に出さない。いま朝田参考人からも強い御要請がありましたが、また総理の言われる人命は地球より重い、こういう方向の中からすれば、今日まで日本の政府では何ら、対策本部はできたけれども必ずしもその実を上げていなかったという先ほどの官房長官のお話もありました。
そこで、なお向こうから要求しました九名のうち、本人が出国することを拒否した者を残して、わが方としては解放要求囚人と、それからお金を持って急遽政府の代表として石井団長、これに関係各省から石井団長に随員をつけ、同時に日本航空の朝田社長以下日本航空の所要の幹部、これが特別機をもってバングラデシュに飛んだわけであります。
この点につきましては石井団長がお帰りになった時点で実情を拝聴する、いろいろ当時の実情を伺うということであったわけでございまして、その後どういうふうにこれを扱うかというのは、石井団長御帰国の段階後いろいろ部内でも、何と申しますか、相談しておったわけでございます。
その点につきましては、私どもの申し上げます点は、石井団長の御判断によって旅券冊子をマームド参謀長に渡すようにという御指示があったという点は、石井団長から承知させていただきました。
しかし、石井団長の御判断で、マームド空軍参謀長を通じて犯人に渡った、こういう経緯がございまして、石井団長のお立場等もありまして、私ども、石井団長がお帰りになって、石井団長からよくお話を伺った上でということから発表の機を失ったというふうに考えているところでございまして、その点につきましては、むしろ国民の皆様方に大変無用の疑惑を与えました点につきましては残念であったと思っております。
しかし、その点につきましては先ほど御答弁申し上げましたように、現地で人命救助のために、現地の折衝におきましてどうしてもこの旅券の交付を先方が要求をしたというので、石井団長の判断によりましてこれを空軍司令官に手交した、こういうことでありまして、現地の措置はやむを得なかった、こういうふうに考えておりまして、したがいまして、この問題につきまして、この交付旅券は法律上の措置として交付をしたものではありませんが
ダッカにおきまして石井団長は、救援機内におきまして、残った一人の釈放罪人であります奥平に対しまして、ダッカにおいて乗客全員の釈放を貫徹することが日本政府の方針であることを強調されたわけでありまして、なお、その際五人はすでにもう乗客と交換に機内に乗ってしまった後でございました。その後におきまして、奥平に対して石井団長がいろいろ説得を試みられたわけであります。