2003-02-12 第156回国会 参議院 憲法調査会 第1号
この方は、昨年、法輪功という宗教団体のリーフレットを北京で配ったということで一年六月の矯正労働の判決を受けています。その後、この方のお姉さんも理由なく捕らえられており、アムネスティとして後で述べる緊急行動の対象となっている方です。
この方は、昨年、法輪功という宗教団体のリーフレットを北京で配ったということで一年六月の矯正労働の判決を受けています。その後、この方のお姉さんも理由なく捕らえられており、アムネスティとして後で述べる緊急行動の対象となっている方です。
ニューヨーク州刑法では、三カ月以下の定期刑と、五百ドル以下の罰金、ロシア共和国刑法でも、一年までの期間の矯正労働または三百ルーブルまでの罰金というふうな、いわゆる行政罰的な性質のものと解釈される。
また、賃金制をとるとかという基本的な考え方を持って進めてまいりますと、やはり賃金といったものの性格とそれから刑法にいう矯正労働という性格との関連をどのようにして解決をしていくかということで、理念を通すという点については変わらないのでございますが、これを具体的な条文に書くということになりますと、予想外に解決をしなければならない問題があるということを痛感しているというのが現状でございます。
三年の禁錮——監獄刑と、それからあと五年間の矯正労働に付すということでございます。
たとえば「日本共産党白書」私が国会図書館にあるやつで調べたものだけちょっと時間がかかりますけれども言いますと、昭和三十年の「ロシア史年表」、昭和二十九年の「世界各国の共産主義運動の現況」、昭和三十二年の「思想改造と戦争犯罪——中共抑留記」、ちょっと長いですが、昭和三十一年「ソ連における政治犯取締政策と強制収容の実態」、三十二年の「ソ連の矯正労働収容所の実情と警備組織」あるいは「月間国際情勢展望」「日本共産党白書
ソ連軍の占領下に入るまでは私の生活は楽しかつた、だが現在家に帰つても妻や子供も引揚げてしまつて人げもない、そういう関係で私は始終悩んでいると言つたのが、反ソビエツト宣伝という名目をつけられまして、八年の矯正労働に服させられました。それで私は豊原の刑務所よりナリンスクというところに移されました。
実際にあるかないか私は知りませんけれども、ある県においては何千万円の矯正労働があるとかないとかいうような問題すらも出て来るのでありまして、一たびその刑務所におけるところの仕事を企業体的形態に乘せて、営利の社会において一つの企業として経営して参りまするときには、それ相応の企業体的な一つの本質を現わして来るだろうと思うのであります。
この四ヶ分所へ憲兵隊から来まして、そうして何したときに、二人乃至三人の者が何して、四ヶ分所から約十名の人が矯正労働收容所へ送られました。その中に福井県大野郡西谷村中井操という男もおります。その男がまだ帰つて来ておりません。