2011-02-23 第177回国会 参議院 国民生活・経済・社会保障に関する調査会 第4号
幼保一元化に対して危惧をしていらっしゃるということなんですが、日本の国というのは、ある面では格差もなくしようと、それから知的、教育的なレベルも上げようというのが国家的な目標だと思うし、また国民の望みでもあると思います。ですから、公的支援の中で幼保一元化をできるだけ早く進めるべきと。私は知事時代、幼保一元化と、幼保推進課というのをつくりました。
幼保一元化に対して危惧をしていらっしゃるということなんですが、日本の国というのは、ある面では格差もなくしようと、それから知的、教育的なレベルも上げようというのが国家的な目標だと思うし、また国民の望みでもあると思います。ですから、公的支援の中で幼保一元化をできるだけ早く進めるべきと。私は知事時代、幼保一元化と、幼保推進課というのをつくりました。
ただ、いずれにいたしましても、未決拘禁者に対しては施設の秩序あるいは管理上の支障が生じないという場合には、自己契約作業あるいは通信教育等の知的、教育的な活動について施設の長は援助すべきであると、こうされておりますので、この件については前向きに対応してまいりたいと、こう考えている次第でございます。
ですから、このことが重要視されるというのは、構造化された知的教育、あるいは金太郎あめづくりの教育ということでなくて、主体的に物を考え判断する教育をどうこれから構築をしていくかということが大変重要でありますから、充て職の場合には、教諭は授業を持っておって充てられるのですよ。そうしますと、図書館の運営だとか利用だとか、今度は指導だとかいうことになってくると、実際には不可能に近いですよ。
一方で、小中高等学校を通じまして、先ほど申しましたように、社会科とか理科の授業で知的教育として行うということでございます。 そこで、それぞれの各学校にこれはお願いしているわけでございますけれども、そうした内容を示しながら、これらを一体的に、ただ知識として環境について知ればいいということではない、よりよい環境をつくり出していくという実践に結びついた環境教育ということ。
その結果、知的教育水準は上昇したものの、落ちこぼれ、学校不適応という障害も生じております。こうした中で、中教審、臨教審の答申を踏まえまして、個性化教育を前面に打ち出しました。このことは、一人一人を大切にし、画一化を排した教育の推進でありまして、もっと積極的に進めてほしいというものであります。最近学力観も徐々にではありますが修正され、個人の有する多面的、総合評価へと認識が変化しつつあります。
私は必ずしもそうとは思いませんが、今のように余りにも知的教育に偏重した状況で進むとするならば、やはり個性というものはどんどん失われてしまって、ややもするとそういう予言が当たるような状況になるのではないだろうかという危険性もございます。この生涯学習振興法案というものを一つの起点といたしまして、私どもしっかりとこういう多くの方々の要望にこたえる施策というものを推進していきたいと思っております。
こういうことは、子供たちがせっかく土曜日という日が有効に使えるのにまたまた知的教育偏重の結果による塾通い、お母さん方も余分な出費が当然ふえてくる、こんなことをしていていいわけはないのであります。 そこで、私はこれから私の考えを述べさせていただいて、文部大臣にお考えをお聞きしたいと思っております。
それは、現在の入試、さっき入試が出ましたけれども、そういうものの中で知的教育というもの、そういうものが重視されている。そして所信にもございましたが、道徳教育を興すということはありましたけれども、何か愛情とか人間との触れ合いとか、そういうものは試験をすることはできないわけなんです。
また知的教育に比重がかかり過ぎ、勉強さえできればしつけなど後回しでもいいという傾向はなかったでしょうか。今、我々は、戦後教育の転換点に立って改めて考えたとき、物質的な豊かさは満たされたにもかかわらず、心の問題をどこかに置き忘れてきたことに気づかなければなりません。
○高桑栄松君 命のをもうちょっと敷衍さしていただきますと、今おっしゃったのは、確かに知的教育だと格差が大き過ぎる。それから、知的教育でない部分がありますね。体操だとか工作だとか、いろんなのがあるわけで、そういった場で使えるんじゃないか。だから、何でも画一ではなくて、トライアルをやってみたらどうかというのが考えです。
私は、これからの教育は知的教育に偏することなく、スポーツや武道を通じて心身を鍛え、体育や徳育に力を入れ、殊に人間形成の面においては、物質万能で功利主義に走り自己中心の考え方をしがちな人間ではなく、思いやりや助け合いの温かい心の持ち主であり、礼節を重んじ、郷土や国を愛し、正義感に燃えて勇気ある人間形成に力を入れていかなければならないと思います。
これまでの教育は、ともすれば知的教育に偏して、人間形成の面がおろそかではなかったでしょうか。物質万能で、出世主義、功利主義に走り、国を愛すること、親を敬うこと、思いやり、助け合い等の意識が薄く、果たしてこのようなことでよいのか。かつての修身の復活ではありませんが、現行の教育基本法に問題はないのかどうか、いかがでありましょうか。 このような観点から重視していただきたいのは道徳教育であります。
そういうことなんで、その中で私が申し上げるのをちょっと聞いていただいて御意見を述べていただきたいと思うんですが、五歳児はテレビなんかで非常に知恵が発達をしているからすぐ知的教育に入れるかと多分思われるのじゃないかと思うんですよ。
例えば、企業の学歴中心主義の採用制度あるいは採用試験のあり方、こういうものが、ひいては子供たちのいわゆる知的教育偏重、こういうものにつながってきているのではないだろうか。だれでも、自分の子供がいい学校を出ていい会社に勤めて高い給料を取る、このことを願わない親はないわけでありますから、やはりその辺から変えてもらわなくちゃ困る。
しかしその与えられた使命と申しますか、保育という立場からいいますと、いわゆる保育所が単に健康あるいは食事、そういったものの世話をする、幼稚園はいわゆる情操教育、知的教育を中心にする、こういう従来の観念がありましたけれども、これは実践の中でそれぞれが克服して、いまお話がありましたように、中身というのは相互にかなり近づきつつあるというのが現状であります。
そういう意味から、私は、日本の学校教育というのは単なる知的教育だけではなくして、心と体をつくるところに相当力を入れております。したがって、狭い国土の中で運動場を持って大いに体育を進めてきた。
これはやはり子供の教育を受ける負担とかそういうものを考えますと、密度の濃い教育をしようと思えば限度だというのですね、それが知的教育でなくても、情操教育であっても、徳育であっても。
第四点は、教育内容も、実際の幼稚園は知的教育を重視するもの、あるいは情操教育を重視するもの、放任的にやるもの、そうでないもの、いろいろございますけれども、小中学校には学習指導要領というのが定められておりますが、幼稚園も教育内容の標準化を図っていく、そういう方向で充実を図るべきであるというように考えておりますが、それらの諸点についての大臣の所見を承りたいと思います。
知的教育だけでなく、健全な人間づくりという立場に立って教育のあり方を見直すべきです。 さらに、子供の心と体の変化を監視し、早急に対策を講ずる体制をつくるべきと思うがどうか。 次に、学校給食における食品添加物の使用については、規制できる法的措置をとるべきです。
あるいは、いま御指摘のように、四、五歳と小学校の低学年を一つの教育施設に収容して、現在のように幼稚園は情操教育、小学校に上がった途端に体系的な知的教育中心というようなことよりも、もう少し段階的なその年齢層の教育方法を考えたらどうかといういわば幼児学校の構想、これも相当ございます。