1992-04-17 第123回国会 衆議院 本会議 第20号
(拍手) 君は、昭和四年二月、中島知久平氏の長男として群馬県新田郡尾島町にお生まれになりました。御尊父は、昭和の初期に衆議院議員として在職され、鉄道、軍需、商工の各大臣を歴任し、さらには立憲政友会の総裁を務め、また、今日の富士重工の前身であります民間航空機産業中島飛行機を創設されるなど、政財界において大いに活躍された方であります。
(拍手) 君は、昭和四年二月、中島知久平氏の長男として群馬県新田郡尾島町にお生まれになりました。御尊父は、昭和の初期に衆議院議員として在職され、鉄道、軍需、商工の各大臣を歴任し、さらには立憲政友会の総裁を務め、また、今日の富士重工の前身であります民間航空機産業中島飛行機を創設されるなど、政財界において大いに活躍された方であります。
ここで大臣のお父様、中島知久平氏大臣のことでちょっとお聞きしたいのでありますが、大変進取の気性に富んだ方でありまして、飛行機を最初におつくりになった方、そしてロマンに満ちた方という評価でありますが、明治に既にヨーロッパに渡り、ロンドン、パリで親しく航空事情をお調べになられたり、また明治末でしょうけれどもアメリカにもお渡りになっている。
一体どういうわけで文化財保護委員会は所有権に問題があるからしばらく待てと言ったのか、まあこれは今事務局長の答弁にありましたように、この所有権は実は松原正業ではなくて、中島喜代一、中島知久平氏の実弟だそうでございますが、もう今はいないようでありますが、中島喜代一さんの秘書である関角芳雄さんの名義にこの国宝の埴輪男子鷹狩像というのが登録されておる、こういうことになっておる。
○坂本委員 それからもう一つ会社のことで続いてお聞きしたいのですが、先ほどの御証言によりますと、中島飛行機の後身ですか、中島知久平氏は大政治家でありましたが、現在富士重工の関係で顧問か相談役でやはり政治家の方がおられますか。おられましたらそのお名前をお聞きしたいのです。
○北証人 中島君平さんという知久平さんの末弟の方が平取締役をしておられますが、これは業務にはほとんどタッチしておられません。そのほかに、知久平さんの御令息が監査役をしておられます。
○横田甚太郎君 一九三九年四月、政友会は、飛行機生産でたんまりもうけた中島知久平氏を総裁に迎えた。その後身の自由党が、今また飛行機をほしいと言い出した。航空機の製造は、終戰後、連合軍総司令官の指令で禁止となつていた。だが、アメリカは、みずから世界兵器廠をもつて任じ、軍需生産でたんまりもうけている連中が幅をきかしている国柄である。
中島知久平さんが例の薬王寺の四つ角で狙撃された事件がありましたな。あのときの犯人を検挙したのです。これは渡部道春という拳闘家でございます。この先生の知合いで私のところへ会いに来たと思つております。そのとき会つて知つておりますが、そういう運動はした覚えはありません。
まず指定者の指定は委員会の意見に基いて、内閣総理大臣からなされることになつておりまして、昭和二十二年三月十三日、当時すでに決定しておりました財閥十家族、すなわち三井、岩崎、住反、安田、野村、大倉、浅野、中島、古河、鮎川の各家から五十六名の指定が行われましたが、その後中島知久平氏等四名の死亡、それから一名追加指定がありまして、現在生存中の方は五十三名となつております。
とにかく從業員がきのう中島知久平さんが百九十五万とか言うておられましたが、あの神風手拭をおわけするとき、航空兵器の生産に從事しておる人におわけすると言つたら二百三十万おわけして足りなかつた。
明禮輝三郎君 渡邊 良夫君 足立 梅市君 前田 種男君 椎熊 三郎君 宇都宮則綱君 中村元治郎君 寺崎 覺君 徳田 球一君 委員外の出席者 兵器処理に関す る問題について 出頭した証人 多田 武雄君 椎名悦三郎君 中島知久平君
次に兵器処理に関する問題につきましては来る十八日、吉積正雄君、下村定君、原守君、多田武雄君、保科善四郎君、十九日、中島知久平君、椎名悦三郎君、遠藤三郎君、津島壽一君、二十日、長崎惣之助君、次田大三郎君、澁澤敬三君、東久邇稔彦君、二十一日、奥田新三君、渡邊義介君、渡邊政人君、淺野良三君、植田俊雄君、右十八名を証人として喚問いたしたいと存じます。御異議ございませんか。
中島知久平先生、久原房之助先生も金力が強かつたから、政友会は二つに割られちやつた。あれ以來政界は堕落をしまして、そうして軍閥が横暴になつて、敗戦を來したという原因になるのでありまして、こうしても大臣並びに副大臣、特に副大臣級の次官は断じて國会議員から任用するということを主張いたします。御静聴有難うございます。(「分つた」と呼ぶ者あり)(笑声)(拍手)
被疑者は佐々木在久、大野圭演、泊利一、平山寅雄という者でありまして、佐々木は弊原男爵の甥であり、大野は朴烈の伜であり、泊は滿洲國高官であると名乘りまして、大倉喜七郎、中島知久平共有の無籍物のキヤラコ五萬七千反が桂公爵邸や野村大使邸の地下室に保管してあるが、大倉からこれを正規のルートによる賣捌き方を依頼せられていると稱しまして、G・H・Qの輸送證明書のごときもの及び朝鮮獨立促進青年同盟の加工委託及び輸送證明書