それでいろいろ折衝しましたが、その中に眞木康年が日本建設工業の代表者と佐々木とが何がうまくないような状況になつて、佐々木も、それから日本建設工業の当時の代表者、名前は忘れましたが、眞木康年がその間に入つて何とか口を利いて、当時、日本建設工業社の代表者、それから眞木康年が区役所に行つて、眞木康年の名前でやつた方が佐々木は余り妨害しないだろうというので、日本建設工業社の代表者は手を引いて、眞木康年の名前
先ず、眞木康年に関する小委員会の御報告をお願いいたします。
眞木康年という人を知つておりますね。
○田中證人 眞木康年君とは私は面識ないのです。
○徳田委員 眞木康年君とは関係ないですね。
この日本解放連盟、石炭國管反対連盟という今出た人たちの名前ですが、この中には浅草下谷あたりにあつた新鋭大衆党の眞木康年という人たちはこれに関係はなかつたのですか。
○武内証人 眞木康年というのは私は知りません。また私の運動にそういう人が関係していることを私は知らぬのでありますから、していないと思います。
○武藤委員長 新鋭大衆党とかいう名前の政府の首領だと称している眞木康年という男が、大分ビラをはつたそうだけれども、あなたの方の運動とは関係がないのですか。
○武藤委員長 新鋭大衆党の眞木康年という男がビラはりを引受けてやつたという話があるのですが、そういうこともあなたは御存じないのですね。
又聽濤事件が起きたときに私は自由党に行きましたが、そうすると労働部長眞木康年という名前が墨で消してありましたから、自由党も氣が小さいなと嫌味を言つて來ましたが、確かに労働部長であつたことは間違ありません。
○証人(中川勝太君) いいえ、その後になりまして引き受けてやろう、こういうふうな話になりましたのですが、どうも眞木さんという方は非常にはつたりの強い方ですから、私も多少そこで考えたのですが、なる程眞木康年という名前は浅草では聊か知れているようにも考えましたし、それからお願いしますと、とにかくおれがやろう、こういうわけでしたけれども、私はとうとうその話は乘りません。
そこへ私と佐久間が行き、眞木康年にあそこで会いまして、警視廳並びに進駐軍関係のあれが事務所の方には詰めかけておりましたので、そこを避けて眞木康年氏と会つたんです。
○証人(大塚廣男君) 眞木康年の性質は、実に男らしい、剛毅果断という言葉が当てはまると思います。当時私は眞木康年氏を知つたときは、何か自分が求めておつた人物に会つたような氣がしました。
○委員長(鈴木安孝君) 眞木康年のことをその当時分らなかつたというのだから、眞木康年という名前に相当驚かされたようなことで拂下げたといつたようなことはないのですか。
○証人(櫻井福美君) 眞木康年が一時自由党に加入しておつた関係で、自由党が支持していたのではないかという懸念もあるのでありまするが、直接の結び付きはないようであります。單に眞木康年が自由党におつただけの関係しかないように思われます。
○松井道夫君 この方が眞木康年の刑事事件の関係で、眞木康年が拘束されているので、財産整理の調査が遅れているというようなことについてお話をされておつたことがありませんでしたか。
○委員長(鈴木安孝君) 今日おいでを願つたのは、眞木康年の事件についてのことでありますが、眞木康年に関する恐喝等刑事事件の主任としてお働きになりましたか。
この調査の対象となりましたものは、先ず尾津事件、眞木康年の事件、蜂須賀事件、尚、青木繁吉事件資格審査の不実記載の事件、これらの事件を対象いたしましてこの調査会を開始いたした次第であります。併し蜂須賀事件は事國際間に関することではありまするが、その内容は家庭の紛爭が主因となつておつた次第であります。
それから今後の当委員会におきましての取調の分担を定めたいと存じますが、先ず眞木康年の事件、蜂須賀事件、青木事件、資格審査不実記載事件等、この四つの分担を定めたいと存じますが、お手許に配付してありますごとき分担にすることに御異議ありませんでしようか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この眞木事件と申しますのは、例の超國家主義団体として指定されました新鋭大衆党の党首眞木康年という者に対する恐喝等の事件であります。