1949-07-19 第5回国会 衆議院 考査特別委員会 第22号
○鍛冶委員長 そこでいよいよ九日からストに入つたのですが、ストに入つてすぐ十日の朝——十日の朝というか、九日の眞夜中、今日の始発から乘車するということを申出たのですね。
○鍛冶委員長 そこでいよいよ九日からストに入つたのですが、ストに入つてすぐ十日の朝——十日の朝というか、九日の眞夜中、今日の始発から乘車するということを申出たのですね。
そこでまた再討論すべしということと、休憩して論議すべしとか、いろんな意見が出まして、結局三日目の眞夜中でありますが、九時十分ごろから十時まで休憩に入りました。再開後また再討論して再採決すべしということが一應可決になりまして、それからまた論議を重ねて行きました。再開後は私相当議長として疲れておりましたので、中村副議長にかわつて議事を運営していただいておりましたところ、中村副議長の不信任案が出ました。
その直後、郡山の國鉄の職員が、午前零時五分頃、約二百名くらい、駅の前に集ましまして、眞夜中でございますが、集まりまして、演説をやつたりして、非常に氣勢を挙げまして、次いで警察署に押し寄せました。郡山の警察署に押し寄せまして、一旦署内に全部やはり乱入をいたしました。
そうして着きました当日、非常に寒氣の嚴しい日でありましたが、その前の晩早く汽車の中で済ました食事の後、丁度下車したのは夜明けでありましたが、それからその日の眞夜中まで一食も與えられず、湯の準備もして頂かないで、糧秣の卸下げ、鉄路附近に卸して積まれてあつた薪の運搬、そういう使役に狩出されました。
國民は眞夜中に叩き起されて降され、そうして更に乘車するときに、もう必至押し合の悲惨な状態を呈して席を取得することに懸命であるという、あの悲惨は何と言いますか、戰爭当時のごたごたを更に陰惨ならしめて我々の眼に見せているのであります。こういう意味で今後においても進駐車関係、或いは又関係方面に名を籍りて、少くとも國民に対して人権蹂躙であるのではないか。
精神においてはこれと同様でありますが、私は曾て冬の眞夜中、福島縣の郡山で、旅の疲れの仮寢の夢を破られて、二千人と思える程の同乘の方々と共に一應下車を命ぜられました。主食持出しの通締檢査であります。一應下車、そうして再乘中、言葉は至極簡單でありますが、実は名状すべからざるその混乱振りは驚くべきものがありました。哀れを止めたのは老人や病人たちであります。
ところがその阿波丸が使命を果した後に、二千余名の乘客及び乘組員を乘せて、三月二十八日にシンガポールを発つて日本に向つて帰港の遂についたのでありますが、四月一日の眞夜中に、台湾海峽において一米國潜水鑑から撃沈されてしまつたのであります。
ところが四月一日眞夜中、台湾海峽におきまして一米國潜水艦によつて撃沈せられました。救出せられたのは一名の乘組員のみでありました。聞くところによりますと、この事件に関しては、政府は戰時中から又終戰後も引続き米國政府と折衝を重ねていた由であります。併し未だ解決に達してはいなかつたというのであります。併しながら終戰後の事態は一変いたしました。
阿波丸はその使命を果した後、帰途についたのでありますが、その途中四月一日眞夜中、台湾海峡において一米國潜水艦により撃沈せられました。
いわゆるあの冬の寒空に、夜間眞夜中に沖合に出まして、下におりますところの「かき」を何百貫ということなく船に積込んで、それから帰りまして、夜が明けて船より陸揚げをするというのであります。そうして「むき子」という女たちも雇いまして終日それをむかせて、その捨てました殻はこれを全夜を通しまして種付け場に運んで行かなければならない状態であります。
○榊原(亨)委員 先ほどから私どもはいろいろ御議論のあることを承つておりますが、大体眞夜中にかような会を開かなければならぬ。私どももこれは緊急やむを得ないということを認めて、さつきは賛成したのでありますが、かくのごとき事態に立ち至つたということにつきまして、野党の三派の方、あるいは與党の方、いわゆる大会派の方々にも御反省をお願いいたしたいと思うのであります。
少くもこの事件を招來いたしました時間を考えてみたい、一月二十八日の午前二時五十五分というのは、これは眞夜中であります。眞夜中に、船客は船客室において晝の疲れで十分眠りに就いておる深夜の時分であります。
第三番目の立入りの制限でありますが、御説の通り眞夜中に立入りすることは、非常に営業者にとつて迷惑ではないかという点でございます。この点は法を執行いたす者としては十分に愼重でなければならない点でございますが、ただこの種の風俗営業の性質上、むしろ公開時間を過ぎてからあとにいろいろここで取締らなければならないような懸念の起る場合も考えられます。
今問題になつておるのは、要するに一方では暴力を揮つたとか無理にねじ込んで來たとかいう、他方ではちやんと勞働組合が正式に……少くとも勞働組合側の言分によれば、正式にちやんと生産管理をやつておるのに、雇傭者が眞夜中に暴力團を連れて來て、それを外からこじ開けて入つて來た。そうして一人や二人の張り番の者では、張り倒されて、どうにもならなかつた。こういう問題が起つて、そこで樣々の問題が起つた。
二十日の眞夜中、へこ帶をふんどしにして、頭へふろしき包みをかついで汽車に乘込もうとしてくる人間が何人あつたか。そういう實情を私は見て現實に知つておるのです。