1949-05-28 第5回国会 参議院 本会議 第37号
今日の記名投票におきましては、尊敬すべき同僚議員諸君は、祖國再建の熱意に燃えておるところの全國農民の燃えるような注視の眞只中に立つてあなた達は記名投票をされる。よろしくあなた達の良識に訴えられて、まじめな行動をとられんことを切に願いたいのでございます。
今日の記名投票におきましては、尊敬すべき同僚議員諸君は、祖國再建の熱意に燃えておるところの全國農民の燃えるような注視の眞只中に立つてあなた達は記名投票をされる。よろしくあなた達の良識に訴えられて、まじめな行動をとられんことを切に願いたいのでございます。
苦難の眞只中において教育に奉げられた努力は、必ず後になつて報いられることは眞理である。と同時に、その逆も亦眞理であることを、今日この際忘れてはならないのであります。
ただ問題は我が國がいよいよ一本爲替レートを設定して、そうして國際貿易の眞只中に入り込んで行く、こういう時期でありますので、いろいろと國際情勢に即應できない点があることも認めざるを得ません。
あたかもよし好機逸すべからずと存じておりましたが、いかんせん当時は戰爭の眞只中にあつて、これらに関心を寄すべき何らの余裕もなく、今日に及んだものであつて、終戰後今やようやく民心の和平を取戻したると同時に、勃然として年來の願望実現を志すの熱情日に切なるものがあるのであります。
或る人たちはこの間まで戰爭の恐ろさを話しておりましたけれども、私共も幸いにして世界の青年男女の間には、極東にも、ソ連の中にも、或いはヨーロツパの戰爭の眞只中へ、友愛奉仕團を派遣して善意の友情を作り、友達を作つて行こうという運動が起こつており、日本の青年男女の中からもそれに是非参加させて貰いたいという声を聞きまして、私は原子爆彈より強いものは愛情であり、又その途の開けておることに深き感謝と尊敬を持つておる
今から約十七年前、私はいわゆる昭和農業恐慌の眞只中に農学校時代を過して、農業政策に一生を打込まんとする決意を促されたことを想起いたします。今や農村には昭和初期塚來の農業恐慌が再び(「簡單々々」、「何が簡単だ」と呼ぶ者あり)訪れつつあります。併しながら、それは曾ての農業恐慌のごとく、需要並びに價格に現れた経済原則や自然的災害によつてではありません。
ところが約倍額以上に値段が上りましたので、この差を何とかして貰いたいというふうな御意見が地元からございましたのでありまして、丁度今申上げましたような消費乃至配給の眞只中で價格を決めました事情もありまして、関係官廳とも相談の結果、若干の予算を組みまして、同時に北海道廳におきましてもできるだけの御努力を願うということで予算を組んで参つたのであります。
赤裸のまま世界の眞只中に置かれておる姿なのであります。而してそれに対する我々の態度は、この内閣成立の際に片山総理から宣言せられましたように、民主主義の完全なる実施、高度民主主義制の確立である。高度文化國家の建設である。道義國家の建設であるこいうことを力強く宣言せられました。その線に沿つておることを私は確信するものであります。
今回は災害地の眞只中で、被害者の一人として現状を見たのであります。東北の被害地は復旧がまだ緒に就いたばかりでありまして、それに前の数十倍も大きな水害がやつて来たのであるから、一溜りもなかつたのであります。昨日本院において内務大臣から報告がありました通り、今度は岩手縣の南部、宮城縣の北部が非常に激甚であつたのでありまして、これは全く目も当てられないのであります。
全く今度の水害の眞只中を縫いました裏日本を通つて、辛うじて東京に帰つて来たようなわけであります。その途中の惨状も目のあたり拝見して参りました。実際今度の水害は明治四十三年以来と言いまするが、四十三年の実情は國民で知らん人も沢山ありましようが、記録的な災厄だと我々は考えております。さてその原因等につきまして同僚各位より縷々述べられておりまするので、私は漸く諸君のお説が肯けるのであります。
ここにおいて本年度は現在農地改革をやつておる眞只中でありますので、各町村は一筆調査をやつておる次第であります。この一筆調査の基礎資料をキヤツチいたしまして、それによつて、大體耕作段別というものの數字は見通しができるじやなかろうか、こう思うのであります。