1980-03-06 第91回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第3号
盤越西線でさえ一日は完全不通、大体三日間不通と言ってもいいくらいの状況であったわけです。こういうものに対する責任というものはどう感じておられるのか。 それから最後に、ローカル線といまの一番大事な定住圏構想との関連をどのように考えておられるのか。
盤越西線でさえ一日は完全不通、大体三日間不通と言ってもいいくらいの状況であったわけです。こういうものに対する責任というものはどう感じておられるのか。 それから最後に、ローカル線といまの一番大事な定住圏構想との関連をどのように考えておられるのか。
それから今度、下のほうの野沢と書いてあるのが、郡山から参ります盤越西線でございますが、この二線は今のところかろうじてどうにか輸送はつながっているわけでございます。
まず第一番に対象になりました列車は、二六四列車――盤越西線の列車でございます。新津は非常に広い構内でございまして、たくさんの着発線がございますが、南二番線へのすえつけが十時五十五分に終つております。予定通り行けば、定時に発車できる状態でございます。この当時、車掌は前に出て参つておりまして、この乗務車掌は、内部の点検と整理を全部済ましておりました。
翌三十一日は盤越西線を経て福島県に入り、会津若松にて汽車を捨て、北会津の一僻村高野村において同方面の単作地帯農業振興の具体策について現地の意見に接し、裨益することが多くあつたのであります。
又日本発送電の山郷発電所は昨年の洪水のため発電不能になり、需要資材の運搬困難のためその復旧工事が遅れているような状態であるから、盤越西線野沢、萩野両駅間尾登地内に中間駅を設置して欲しいというのであります。小委員会におきましては、当局の現地調査の事情を聽取し、審議いたしました結果、現地の事情を考慮し、願意を妥当と認めました。