2017-03-09 第193回国会 参議院 文教科学委員会 第3号
あるいは、戦国大名だった北条早雲だって、これ、北条早雲というのは、北条という名前は二代の氏綱のときから使った名字ですから、例えば北条早雲が出てきて活躍していたときは伊勢新九郎盛時、これが正しいわけですよ。 ですから、そうやって名前のことをいじくり始めちゃうと、いろんなところで噴出しちゃいます、問題が。
あるいは、戦国大名だった北条早雲だって、これ、北条早雲というのは、北条という名前は二代の氏綱のときから使った名字ですから、例えば北条早雲が出てきて活躍していたときは伊勢新九郎盛時、これが正しいわけですよ。 ですから、そうやって名前のことをいじくり始めちゃうと、いろんなところで噴出しちゃいます、問題が。
野球で例えるならば、全盛時のイチローのようなバッターなんですね。どんな球が来ても見事に打ち返す、しなやかで、インナーマッスルを鍛えた強い国づくり、地域づくり、社会経済づくりを目指していきたいと思います。
しかし、残念ながら日本の財政構造は、そういったことに関係なく一九六六年ごろから公共事業の比率がGDPの、最盛時は二〇%近くにまで伸びて、それがかなり長期に続いてきたわけでありまして、私は今考えてみると、二十年ぐらい前からもっとそうした子育てを含むところに変更していなければならなかったと、このように思っております。 しかし、遅いからといってスタートを切らないわけにはいかない。
上砂川町は人口は最盛時三万二千人いましたが、平成十八年は四千五百九十一人と激減しています。山しかないんですね。炭鉱しかない。そして、年金者が多いので税収が少ない、生活弱者が増えている。雇用も平成六年には六百人あったけれども、今三百人に減少しているとおっしゃっていました。二〇〇一年から二〇〇五年で人件費、庁舎内の経費の削減をそれでも頑張って五億八千万円行ってきたんですね。
それで、委員のおっしゃっているのは、さっきちょっと聞いておりますと、出口の財投の話だと思うんですが、財投は、この前も御答弁したかもしれませんが、最盛時は四十兆ぐらいございましたのが、今は十七兆ぐらいに圧縮してきているわけですね。これで全部圧縮し切ったかどうかはまたこれからも検証していかなきゃなりませんし、いろいろな議論があると思います。
もう一つ、そういうことになりがちな理由が二つ三つあるんですけれども、一つは、地元の、田子町の地元の人たちが最盛時六十人も三栄化学工業に勤めていたんですね。そうすると、地元による告発というのは非常に困難だったわけです。
○高橋(健)政府参考人 具体的に住宅再建というか被災者の住宅確保のために、最盛時四万八千戸あった仮設住宅を解消して、公営住宅のあっせんについては仮設住宅入居者の方の希望を十分伺って、最大限の努力を兵庫県、神戸市はした、そのことを申し上げたいと思います。
お尋ねの現在の信者数は、最盛時は約一万人おりました。現在は約二千百名というふうに見られております。ただ、脱会信者に対して執拗な復帰工作を行っておりますし、それから新規信者の獲得に向けましてもさまざまなサークル活動等への参加呼びかけ等を行っております。したがいまして、こういう活動によりまして、信者数はわずかずつではありますが増加の傾向にあるものというふうに見られております。
最盛時は組合員が一万一千名、当時は日本最大の協同組合でございます。生産量も一千百万名を超えておったんですが、直近では組合員も六千名強に半減、生産量も実に三百万反を割る惨たんたる状況でございます。これにはもちろん単なる不況のほかに二つ、三つ理由がございます。
これは当然、人口増加あるいは穀物資源がだんだんと減少していることにも比例をしているのではないかと思うわけでありますが、我が国の全盛時の漁獲量は千二百万トンであったわけでありまして、現在は八百万トンでありますが、中国は現在二千五百三十五万トンということであります。
私は今、就職というか、大学を卒業してから五年目でして、その当時はまさにバブル全盛時でして、説明会に行けばその場で就職が内定する、そんな状況も時にあったわけです。
○政府委員(棚橋泰君) 御指摘のように、資本金というものをふやして、それによって低利の資金を得て事業を行っていくというのも一つのやり方でございますけれども、国鉄という性格から見まして、出資金というよりも助成ということで単年度の助成を、出資金はおっしゃるようにその程度しかございませんけれども、最盛時七千億という年間の助成を国鉄に出しておるわけでございまして、出資で見るか助成で見るかという一つの政策判断
○服部信吾君 次に、小包郵便について若干お伺いしますけれども、これは最盛時は昭和四十五年一億八千五百万に比べて五十八年度は七千四百万、約四割に落ち込んでおる、こういう状況でありましてね、これは民間に食われているといういろいろな理由があろうかと思いますけれども、この点についてはどのようにお考えですか。
最盛時はたしか七千ちょっとあったと思うのでございますが、今は五千ちょっとであるというふうに認識をいたしております。それから、勢力減退がやはり一番はっきり出ていると思いますのは、平均年齢が非常に高くなってきているように思います。これは、現在街頭闘争に出てくる者で三十歳くらいになっております。
○棚橋(泰)政府委員 AB線の予算額は最盛時四百億までいっておりましたか、その後先ほど申し上げました凍結に伴いまして昭和五十五年度からはずっと百五十億で推移してまいりまして、その後財政状況が厳しいということで五十八年度、五十九年度はいずれも百四十億で推移いたしておるわけでございます。
それから第一次オイルショック、第二次オイルショックを経まして、急激に企業の立地件数が全国的に落ちておるわけでございまして、近年やや回復ぎみでございますが、昨年あたりの数字を見ましても、まだ最盛時の四割ぐらいのところにとどまっておる、こういう状況であると承知をいたしております。
本法は、昭和三十七年に石炭から安価な石油へとわが国のエネルギー需要構造が急激に変化しつつあることに対応するため、国内石炭鉱業をスクラップ・アンド・ビルドにより経済性に即した合理化を推し進めるために制定されたものでありますが、その後の合理化政策はビルド対策は影をひそめ、もっぱら炭鉱の整理切り捨て対策の推進に終始し、最盛時九百を数えていた炭鉱数は二十数鉱に、また六十万人と言われた炭鉱労働者は二万人弱に激減
それから、さらにもう一つわれわれとして考えなければいけない国益的な配慮は、現在日本が所用しております石油の、最盛時は一七%、それから現在時点におきましても一〇%をイランの石油に依存をしておるというこの重要な事実を見逃すわけにはいかないわけでございまして、これは、イランにおきます治安が悪いとかあるいは政情不安であるからといっても、石油の供給を一〇%分受けなきゃいけないという基本的な事実は変わらないわけでございますので
最盛時は三千六百人を超える日本人がいたわけでございますが、漸次引き揚げておるわけでございます。引き揚げるというのは、工事を中断して引き揚げておるのではなくて、自分の分担の仕事が終了したことに伴いまして引き揚げておるということでございまして、したがってその工事は続行されておるというのが現状でございます。
○石井委員 たとえば外国から来る国賓、公賓等の飛行機は、すべて羽田へ着くのだというふうにも聞いておりますが、これは開港と同時に、国際線、国内線の最盛時と申しますか、非常にふくそうした航空路の乗り継ぎその他の運航計画を改定しなければいかぬと思うのでございますけれども、国内乗り継ぎという便に関してどういうお考えを持っておられるのか、お伺いしておきます。