1982-05-11 第96回国会 参議院 農林水産委員会 第11号
たとえば山形県の松田甚次郎というかつてのすばらしい篤農家がございますが、この方は盛岡高等農林をお出になってから、みずからこの高等の農学を修めながら農業にはだしで飛び込んで作業をしたと、こういう方がおるからいままでの日本農業というのは私は支えられてきたと思うんですよ。
たとえば山形県の松田甚次郎というかつてのすばらしい篤農家がございますが、この方は盛岡高等農林をお出になってから、みずからこの高等の農学を修めながら農業にはだしで飛び込んで作業をしたと、こういう方がおるからいままでの日本農業というのは私は支えられてきたと思うんですよ。
私がかつて非常に尊敬しております宮沢賢治、松田甚次郎、この方々は、かつての盛岡高等農林学校をお出になった方々でございますが、お二人とも短い人生をあの東北の零細な、しかも凶作に見舞われる農業に生涯をささげたんですね。私は、こういう人が出てこなければいかぬ。
○田原委員 戦前には宇都宮高等農林学校、盛岡高等農林学校、三重高等農林学校、岐阜高等農林学校、宮崎高等農林学校、鹿児島高等農林学校、六つの高等農林学校に拓植科というのがありまして、海外に移住して、移住先でもって技術を持ってやっていける教育をしたものであります。現に南米各地には多数のこれらの学校の卒業者が行っております。
戦前は盛岡高等農林、宇都宮高等農林、三重高等農林、岐阜高等農林、宮崎高等農林、鹿児島高等農林学校等には拓殖科というものが特設されておりまして、中興高級技術者としての素養を修め、そして東南アジアから中近東、それから中米、南米に移住さしております。現在四十四、五歳から五十五、六歳ぐらいまで、老年の者はアルゼンチンの石川さん等八十歳、盛岡高等農林の第一回卒業生であります。
盛岡高等農林、宇都宮高等農林、三重高等農林、岐阜高等農林、鹿児島高等農林、宮崎高等農林にはありました。これらの学校の卒業生は、それぞれ北中市米、東南アジア等に移住いたしまして、それぞれの地方において仕事をやられ、国内で受けられました高等教育のゆえもあり、その地方における日本人会あるいは農業協同組合その他の団体の長となられた方もあり、在留日本人の指導者となっている方がたくさんございます。
文部省は、戦前には、宇都宮高等農林学校、盛岡高等農林学校、岐阜高等農林学校、それから三重高等農林学校、宮崎高等農林学校、鹿児島高等農林学校に拓植科というものを置いておりまして、これらの高等農林学校出身者が中南米に行って、黙々としてその地区における日本人の指導者になって、産をなしております。それから、北大あたりから行った者もあります。
元来君は群馬県の農村に生まれ、盛岡高等農林に学び、農業団体の指導者として活躍せられ、戦後国会に出馬せられ、当選三回、そのかたわら親しく農業を営まれ、まことに生まれながらの農民代表、心からの農村指導者であります。
なお東北大学の農学部は、盛岡市にある現在の盛岡高等農林がそのまま綜合大学の中に昇格編成されるやに私は承つているのであります。東北大学の農学研究所はございますが、これは仙台市内にはございません。仙台市の郊外にございます。從つて大学はさし当り必要のない場所をよく張つてこれをとつておかなければならぬという必要は一つもないのであります。
また仄聞いたしまするところでは、宇都宮高等農林學校、盛岡高等農林學校等と、官立農林專門學校のうちでは、最も優秀な設備を有する學校とか聞いておるのであります。従つて學生及び地元の要望が、たいへん盛んでありますので、ぜひこの委員會においてお取上げ願いまして、一日も早く大學になりまするよう、請願を出したのでございます。よろしくお願いいたします。