2003-02-12 第156回国会 衆議院 予算委員会 第9号
宮本武蔵がはやっていますけれども、私の生まれた盛岡出身の新渡戸稲造博士は国際協調主義で有名なんですが、デモクラシーを翻訳するには平民道という言葉がいいと言っていまして、民主主義、民本主義とかいろいろな訳が出ていますけれども、平民道、それは新渡戸博士が書いた「武士道」の延長線上で、武士道の延長としての平民道。
宮本武蔵がはやっていますけれども、私の生まれた盛岡出身の新渡戸稲造博士は国際協調主義で有名なんですが、デモクラシーを翻訳するには平民道という言葉がいいと言っていまして、民主主義、民本主義とかいろいろな訳が出ていますけれども、平民道、それは新渡戸博士が書いた「武士道」の延長線上で、武士道の延長としての平民道。
そして、幾つかの患者さんの家あるいは自排局、あるいは道路の、私盛岡出身なものですからぱっと来るんですね、道路を歩いていると排気ガスのにおいというのが。そんなことを感じながら歩きましたので、幾つかお伺いしたいんですが、まず区の資料、先ほど御説明ございましたが、非常にお子さんが、というと若い年齢の方が気管支ぜんそくに多いという感じがいたしました。
そこで、私は東北の出身でございますので、岩手県盛岡出身の宮沢賢治、山形県出身の松田甚次郎、この二人、特に宮沢賢治は短い人生をあの東北の冷害あるいは貧困の農村に生涯を打ち込んだ方でございますし、また松田甚次郎さんは、農政に思い切った情熱を燃やしていた方でございます。
それで多少妥協案になるのでありますが、盛岡農專が東北大学の農学部となるような場合には、農学部にはいる学生のうち、盛岡出身者が盛岡で勉字できるような便法は考えたい。もう一つは、將來國力が回復をしたときには、盛岡に独立の大学ができることは予想できるけれども、今からお約束することはできない。こういう方針で事を解決していいかどうかということを、盛岡の縣議会議長の方には申し上げてあるわけであります。
またただいまいろいろのお話がありましたが、私どもは盛岡出身の学生だけを盛岡で一應教養の学科を修めさせるような措置も講じたいというお話には、どうも賛成しかねるのでありまして、そういう変則な教育をあそこで特にそのためにやるということは、はたしていかなるものかと考えております。
同君は明治十一年の生まれでありまして、盛岡出身であられます。明治三十三年には当時の一橋東京高等商業学校を卒業されまして、三十五年外務省の外交官及び領事官試験に合格されておるのであります。而してその後直ちに上海の総領事館に赴任せられ、又或いは朝鮮に、或いは中國、ドイツ等々の國に歴任されまして、そうして大正十二年、外務省の政務局長にまで昇進されたのであります。