2007-06-15 第166回国会 参議院 文教科学委員会公聴会 第1号
戦前、戦時の教育に君臨したあの教育勅語が、その徳目が、単に並列されてあるのではなくて、皇運扶翼を頂点とする価値体系、ヒエラルヒーを成していたのと同じように、かなめを成す我が国を愛する態度、今様々な徳目はそれに方向付けられたものとして組織立てられようとしているのではないか、私は、今後の動きを含めてそういうふうに考えるわけです。
戦前、戦時の教育に君臨したあの教育勅語が、その徳目が、単に並列されてあるのではなくて、皇運扶翼を頂点とする価値体系、ヒエラルヒーを成していたのと同じように、かなめを成す我が国を愛する態度、今様々な徳目はそれに方向付けられたものとして組織立てられようとしているのではないか、私は、今後の動きを含めてそういうふうに考えるわけです。
……皇運扶翼の精神は日本精神の真髄であり、此の精神が産業労働部門に顕現したるもの、之れ即労資一体、産業報国の精神に他ならぬのであって、産業報国運動とは実に此の精神を以て我国産業労働界の全分野を席捲風擁せんとする運動なのである」。
戦争が始まつたら皇運扶翼のためだ、それ義勇公に奉ぜよ。教育勅語をもしあるいは瞑目し、あるいは刮目して、虚心担懐に読む人があるならば、ここらが教育の淵源、文書の眼目中の眼目であることが会得されるに違いありません。さればこそ、これでもかこれでもかと続けられたあの戦争が、八月十五日を迎えたとき、その品を境として、国民は頭の切りかえを行い——いわゆる精神革命であります。
あの中で克く忠にとか、以つて天壤無窮の皇運扶翼とかいうことは今日適用することは出來ませんが、その外の徳日は未だに古今東西に通用性が残つておると存じます。それに加えて、民主主義とか、平和思想とか、或いは眞理の探究もよいでありましようが、それらのものを附加えて一つ適当に至急に発表する必要があろうかと存じますが、文部大臣は如何お考え遊ばされますか。