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27件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2017-06-07 第193回国会 参議院 天皇の退位等に関する皇室典範特例法案特別委員会 第2号

沖縄県民の間には、四百五十年間続いた琉球王国が併合された明治政府琉球処分と、その後の皇民化教育沖縄戦米軍統治などをもたらした天皇制下政府に対して、戦前政府に対して複雑な思いが存在しています。特に昭和時代、一九四五年、本土防衛捨て石にされた沖縄戦では、天皇の名の下に県民を巻き込んだ激しい地上戦が行われ、住民の四人に一人、十二万人を超える沖縄県民犠牲になりました。  

伊波洋一

2017-04-13 第193回国会 参議院 内閣委員会 第4号

一九四八年の排除失効決議、今日、資料の、ページ打っていなくて申し訳ないんですが、二枚目に衆議院と参議院の排除失効決議を載せておりますけれども、そこに至る経緯をつぶさに見てみると、そこにはやはり、この決議がなぜ出されたのかというところでは、三百万人を超える犠牲を出したあの戦争への反省、それからそこへ国民を向かわせた皇民化教育忠君愛国の象徴として教育勅語が果たした役割、そういったものへの反省が明確

神本美恵子

2012-05-24 第180回国会 衆議院 憲法審査会 第5号

それらを徹底的にたたき直して天皇の民にしていく皇民化政策がとられ、皇民化政策差別同化によって裏打ちされたものであったがゆえに、沖縄戦の悲劇と戦後のアメリカ軍占領へとつながったことをお伝えしておきます。  くしくも、薩摩侵攻四百年、琉球処分から百三十年に当たる二〇〇九年の歴史的政権交代以降、沖縄では、歴代政権による構造的差別県民共通認識になっていることを申し上げて、意見表明を終わります。

照屋寛徳

2011-10-26 第179回国会 衆議院 文部科学委員会 第2号

と持ち上げておりますけれども、その旧憲法のもとで、沖縄人々は方言や歌まで厳しく禁じられるなど、皇民化政策、こういうものが強要され、沖縄戦では多数の人々犠牲になったわけであります。  大臣、こうした歴史を踏まえた教科書を求める沖縄県民心情、その心情については御理解いただけますか。

宮本岳志

2007-04-11 第166回国会 衆議院 文部科学委員会 第9号

皇民化教育や、あるいは、かつて、戦前戦陣訓教育勅語、こういうことで実は集団自決に追い込まれていった、せざるを得なかった、そういう悲惨な実態は、これは絶対に忘れてはいけない事実だと思うんです。そこから戦後の、平和をつくっていこう、そういう教育などが始まってきた原点でもあると思うんですよ、原点でもあると思うんです。

日森文尋

2007-04-03 第166回国会 衆議院 安全保障委員会 第6号

沖縄戦前夜の皇民化教育と、戦陣訓や軍の強制命令の存在、沖縄戦の実相の中で、歴史的な事実として証明され、語り継がれているのが、軍の命令による集団自決あるいは集団死と呼ばれるものであります。いわゆる軍命により追い詰められ、集団による自死に追いやられた事件であります。  私は、いわゆる集団自決の個々のケースについて、その存否の有無についての判断や見解を大臣に問うつもりはありません。

照屋寛徳

2005-02-16 第162回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号

本省人の方は、植民地に生まれたわけですから国籍は日本人だったわけで、台湾総督府が一生懸命日本語教育というのをやりましたし、戦時中はいわゆる皇民化という運動ということをやりまして日本語をかなり普及させました。ですから、多くの人たちが、台湾にいる、いわゆる内地人ですね、日本人ですが、内地人とは違う日本人だというふうに思うようになっていた人が多いのではないかというふうに思われます。

若林正丈

2003-06-12 第156回国会 参議院 内閣委員会 第14号

そもそも、その創氏改名というのは、日本朝鮮半島植民地支配しやすいように皇民化政策のために行ったものであります。当時、創氏改名を拒んで自殺をした人もおります。日本の都合によって押し付けたものであることは歴史の事実でありまして、そのことを率直に謝罪をすべきだというふうに思います。  

岡崎トミ子

2000-03-24 第147回国会 衆議院 厚生委員会 第5号

小川ワシュカ、先ほどの皇民化によって日本名を付与されています。小川ワシュカウィルタ、一九四三年の九月に国境で狙撃され戦死をされた。奥田プキィヨン、これはニブヒ族です、一九四五年八月十七日、戦争が終わった二日後、オタスの地で狙撃され戦死されている。  そして、戦犯としてソ連の軍事法廷にかけられて有罪判決を受け、大体多くの方がシベリアに連れていかれて、ラーゲリで強制労働に従事させられた。

児玉健次

2000-03-24 第147回国会 衆議院 厚生委員会 第5号

ところが、一九二六年、昭和元年です、樺太庁は、ウィルタニブヒなどの五つの少数民族ポロナイ河畔オタスというところ、これはアイヌ語で砂地という意味だそうですが、オタスに強制移住させ、かつ囲い込みを行って、その場所で、土人教育所皇民化教育を強制しました。  それで、太平洋戦争が開始される。

児玉健次

1999-07-16 第145回国会 衆議院 内閣委員会 第12号

我が国は、植民地、いわゆる台湾朝鮮、ミクロネシア、満州、あるいは占領地で、日の丸と君が代によって皇民化政策を強行しました。それによって、民族の文化も誇りも踏みにじってきました。その先例となったのが沖縄における皇民化政策であった。この歴史的な事実それから国体護持、つまり天皇制を守るために捨て石にされた沖縄戦の体験、これを忘れることができません。

安仁屋政昭

1992-05-29 第123回国会 参議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第13号

私の少女時代皇民化教育一辺倒の中でまさにこのことが実証されました。神国日本、万世一系、天皇赤子八紘一宇、大東亜共栄圏聖戦完遂、まだまだありますが、これらの言葉はすべて上意下達、政府から国民へと一方的に流されていて、国民はこれを文字どおりオウム返しに受けとめていました。その当時はこれ以外の道はなく、選択の余地もなかったのです。  

松井義子

1991-12-16 第122回国会 衆議院 法務委員会 第3号

小森委員 抽象的に一層啓発を推進するということは、啓発という言葉を使う以前の明治末年、大正、昭和の初年、ついに皇国皇民運動といって大政翼賛会部落解放運動が組み込まれていくそのときも、全部そういうことは言うたんであります。だけれども、今言われておる啓発が重要だということについては、私はそれよりは少し前進をしておると思う。

小森龍邦

1988-03-09 第112回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号

ですから、日の丸問題にしましてもあるいは君が代問題にしても、それは国民それぞれのお立場、考え方があるでしょう、私は一般論まで否定しようと思いませんけれども、事戦前のような皇民化教育をし、国家権力教育を統制をしていくというあり方あるいは教科書に対する著しい権力介入というのは絶対あってはならぬ、このことは私は強く申し上げておきたいと思います。  

上原康助

1985-03-08 第102回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号

案内のとおり、明治二十八年に我が国日清戦争による日清講和条約を盾に台湾を領有して以来、五十年の長い間、我が国台湾におきまして、日本万邦無比の国である、日本は信義を重んずる武士道の国、正義の国である、天皇は神の子であり台湾人一視同仁である、この一視同仁の聖慮に感銘して陛下赤子たるべし、出征した後は国家が一切面倒を見てやるという皇民教育を実施し、あるいは現地語使用を禁じて日本語を強制する、

米沢隆

1984-07-19 第101回国会 衆議院 社会労働委員会 第26号

それから、外国の、日本政府植民地政策皇民化運動の中で、日本皇民になって徴兵制度までやった人が、戦争後帰っていったということもあるわけですから、そういう問題等は、私は政治的に考えて、金額の多寡、金の多い少ないというよりも、国としては、国家補償の援護としてやはり大局から考えて処理をしなければ、法の平等ということにならないのではないか。

大原亨

1982-04-01 第96回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号

案内のとおり、明治二十八年わが国台湾を領有して以来五十年間、わが国は、日本万邦無比である、一視同仁の聖慮に感銘し、陛下赤子たるべしとしていわゆる皇民化政策が徹底をされ、皇民教育が行われ、現地語使用は禁じられて日本語が強制される、名前日本風に改められる。戦争が始まると国のため強制的に徴用され、台湾では昭和十七年から志願制昭和十九年には徴兵制も施行されました。

米沢隆

1982-03-24 第96回国会 衆議院 文教委員会 第4号

このような皇民化教育成果といたしまして、昭和十六年の文芸台湾というのに載りました周金波という人の「志願兵」というのが実はございます。     〔委員長退席、石橋(一)委員長代理着席〕 その一部分でありますが、「かしわ手を打つことは神々によって導かれ、神々に近づくことなんだ。……祭政一致皇道政治の根源じゃないか。

三浦隆

1982-03-24 第96回国会 衆議院 文教委員会 第4号

同化政策台湾統治基本方針であったが、ここに至ってシャニムニに推進され、いみじくも皇民化運動とよばれた。」、このように述べているのですが、こうした教育成果があって、実は台湾人たち日本のために本当に日本人と同じように、あるいはそれ以上に一生懸命戦争に協力するようになったといういきさつがあったということであります。

三浦隆

1979-05-25 第87回国会 参議院 内閣委員会 第10号

民族誇りを無視して皇民化政策名前のもとに彼らに何の関係もない元号を強要した事実を彼らはいやと言うほど知っておるのでございます。アジアの地域で使わせました教科書で、元号を教えたものの教科書を私はかつてシンガポールに参りましたときに教育関係者より見せられて、いまあなたの国では皇紀何年ですかと質問されて私は大変困ったことがございます。

木村知己

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