2010-02-26 第174回国会 衆議院 予算委員会 第17号
そこで、私は父親の影響を受けて育ったものですから、おやじは、百姓仕事が終わると暗うなってから野良から帰ってきます。そして、子供たちが先にふろに入ったりしていますと、わずか一合の酒をさもおいしそうに飲むんですけれども、私ども先に晩飯を食います。すると、魚なら頭と骨しか残っていない。それをよこせと。おやじは、出雲地方ではすわぶると言うんですね、そうしながら酒を飲んでいました。
そこで、私は父親の影響を受けて育ったものですから、おやじは、百姓仕事が終わると暗うなってから野良から帰ってきます。そして、子供たちが先にふろに入ったりしていますと、わずか一合の酒をさもおいしそうに飲むんですけれども、私ども先に晩飯を食います。すると、魚なら頭と骨しか残っていない。それをよこせと。おやじは、出雲地方ではすわぶると言うんですね、そうしながら酒を飲んでいました。
例えば、道路も自分たちでつくる、それから物置小屋、資材小屋、そういうこともできる、大工も左官もできるということや、管理ができる、堆肥の温度の調整ができるとか、それから動植物、気象状況、そういうものにも精通しなければいけないということで、農業仕事、百姓仕事というものはトータル的にすべてのことをこなさなければ本当にやれない仕事だということで、こういう仕事をどう厚生労働省も見ていくかというのはこれからの時代
例えば、きょうは農業の問題での質問が多かったわけですが、農民といいましょうか百姓といいましょうか、お百姓仕事は単純労働というふうに規定されるのかどうなのか。その辺、少し教えていただけますか。
二月二日の読売新聞の夕刊でありますが、見出しが端的に現在の我が国の労働市場といいますか、元請と下請、さらに孫請、さらにひ孫請というような感じのこととあわせて、我が国の農村の今日の農業の荒廃といいますか、百姓仕事をしたのではとても食っていけないというような関係もありまして、ここに「またも出稼ぎの悲劇」、つまり出稼ぎをするということは家族と別れて働くということだし、それ自体が大変な不正常なことで、豊かな
とりわけ戦後の歴史を見ますと、今まで町だったのが市になっていく、今までは百姓仕事をしながら長男が残された田んぼと墓をお守りする、だから農繁期には休んで畑仕事もやるというような時代もありましたよね。しかし、それが都市化が進んで大都市になっていく。そうすると、そういうことでは済まなくなってくる。優秀な人材に来てもらわなければならない。
農水省だって、こういう一年中日雇いで行ったり、出稼ぎで行ったりして、百姓仕事なんか一カ月もやらないような者も農業政策の対象にしてやるから、日本の農業政策はさっぱり生きたものにならないのです。世界的な農業の競争においていつも敗れて、春でも夏でも、農民運動、農業政策といえば、補助金よこせ、米価の値上げせい、もっと政府が手厚く保護せい、政府に対する要求運動だけだ。物もらい運動だ。
さらに、健康をそこねたからだで百姓仕事に従事しているので、昼はだめなんです。相談は夜受けたいといっておりますけれども、生活改良普及員や生活指導員は、夜だとこれまた出かけていけないということになりまして、私は、かなりこれは思い切った措置が必要じゃないかと思いますが、農林省の御見解を伺わしていただきます。
ただ千代田の連中のように、向こうはち巻きで、忙しい百姓仕事をほったらかしてドラムかん一つでかけ出したくはない、あるいはまた機動隊と取っ組み合いを演じて、そういうけんかもやりたくない。しかし反対だということには、ほとんど町全体あげて変わりはないだろうと思います。
ですからここで保護施設を作るというなら、去年からようやく緒についたばかりですから、短期間のものも必要でしょうが、同時に長期にわたって、たとえば百姓仕事でもいいでしょう。そこで生活ができ、今言った補導も受けられ、職業訓練も受けられ、また教育もやられていくというふうな生活環境をともに与えるというような施設ができないものかどうか、この点について意見を承っておきたいと思います。