2020-11-12 第203回国会 衆議院 農林水産委員会 第3号
○横田参考人 私は一百姓にすぎませんので、海外のところまで私がきちっと説明できるかはちょっとわかりませんが。
○横田参考人 私は一百姓にすぎませんので、海外のところまで私がきちっと説明できるかはちょっとわかりませんが。
やはり食材を無駄にしてはいけない、これは日本の文化ですから、お百姓さんや農業者、漁業者の方々が作ったものを無駄にしてはいけない、一粒たりとも無駄にしてはいけない、これは日本人の美しい文化ですから、そういったものをよく考えたときには、いざとなったらこういうシステムがあって、予算を付ければそこにしっかり物が乗ってちゃんと流れていくということには、やはり人々の善意だけに頼っているには限界がありますので、財政的
私は田舎の生まれですので、私の世代はそうでもないですけど、ワンジェネレーション前になると、非常に先進的な農業をやっている地域のリーダーの農家の方も、おまえは百姓になるなと、大学に行って一流一部上場企業に就職せいと、そういうようなことを言われている率が極めて高かったと思います。
そして、その昭和一桁世代という話、今局長からもさせていただきましたけれども、どうも私の周辺、私の一世代の上の方々は、自分の息子たちには、おまえは百姓になるなと、こんなつらくてしんどい仕事をおまえにはさせられぬと言って農業従事を積極的に勧めなかったということもあります。
変わってきて、その影響を受けるのは末端の農家、お百姓さんなんですね。だから、そこに格差が生ずるということは、日本の農家、農民、農村に格差を提供してしまうというようなこと等がありますから、これは徹底して格差のない、出ないような方法を考えぬといかぬと思うんですね。そうですね。
そこで侍の方に言った言葉が、農家というのは、まあ映画では百姓と言っておりましたけれども、農家は、雨が降っても心配し、晴れても心配する、それが農家なんだという言葉が私は非常に印象に残っておりますけれども、とかくいろいろな農業政策で国外的あるいは国内的にもいろいろな変化があることによって、農家の方々はやはり自然を相手にして仕事をしているわけでございまして、非常に不安に感じる度合いが、ほかの産業とはちょっと
諸国の郡の官舎や百姓の倉庫、寺社が壊れたものは数知れず、人や家畜が多数死傷した。伊予、今の愛媛県の温泉が埋もれ、湯がとまった。土佐の国、高知県の田畑五十余万頃が没して海となった。こういう記載がございます。 この白鳳地震の後、安政南海地震は一八五四年、昭和南海地震は一九四六年ということで、南海トラフを震源としてこういったことが起きております。
今こういったような時代というのに関して、金が金を生むというのに対して、何となく我々の、お百姓さんからスタートして物づくり一筋で来た日本人になかなかあきんど的な発想というのはなじんでいかなかったんだと。それが多分江戸ですよ。だから士農工商になったんでしょう、多分。多分それが理由なんだと思いますよ。僕は、その頃までは詳しくは知りませんけど。
民百姓は分からなくてもいいんだ、自分たちの言うことさえ聞いていればいいんだ、聞かなかったら捕まえるぞ、こんな発想が裏にはあるんじゃないでしょうか。しかし、安倍総理のその一般人は対象ではないという発言がうそであることが明らかになりました。一般人も対象になるのです。 私は、法務大臣に質問しました。私はあなたが言うところの一般人ですか。私は一般人だそうです。
百姓ですから、百姓しかできないと。 だから、そういうことは、今まで僕、営農に就いてから、ずっと農協やホクレンに、ホクレンがちゃんと考えてくれたし、やってくれたということなんですよ。だから、そういう意味で、毎年、乳価交渉もきちっとやってくれるし、価格もまあまあ、いろいろ僕らが不満なときもたくさんあったけれども、続いてきたと。
そしてまた、その兼業農家の方々も、農業では収入がなかなか上がらないということから、いわゆる日曜百姓という日曜、祭日にだけ農業をするというところから、現在では、担い手あるいは法人の方々に農業が集約をしてきております。
一揆とは、今さら申し上げるまでもありませんが、高校の参考書、山川出版「詳説日本史B」などによれば、平安時代の末期から、寺院の僧兵や農村の百姓らが共同の行動をとろうとするときに、しばしば一味団結を神仏に誓った、その際、一味神水といって、神に誓った文書、起請文を神前で焼き、水にまぜて回し飲みをする、それによって一味による決定は神の意思であると確信し、通常では無理であると考えられるような問題の解決に向かって
御承知だと思いますけれども、大型店は、固定資産税も安いところでお店を持たれて、駐車場はただだということで人をお集めになってみえるわけでございますが、もうとんでもない話でございまして、要するに、一旦畑を我々の物販の方へ転用したときには、あれは十年、二十年で田んぼには戻らないということを今の二世、三世のお百姓さんの息子さんたちはやっとわかったみたいでございまして、とんでもないことをやってしまったなというようなことを
○村岡委員 石原大臣は、篠原委員も言いましたけれども、大豆の部分で、お百姓さんというのは、大豆でしょうゆとかみそとか、いろいろなものをつくりながらやっていました。 ただし、これは自家消費みたいな形の部分の中で、それから地域消費みたいな形で、これを大量につくるという政策の中で、必ずしも大豆に合わない土壌というのはいっぱいあるんです。
これもまだ企画段階なのであれですが、先ほどの、地方から人がいなくなるという流れの中で、被災地はさらにこれがひどくなりまして、被災地のお百姓さんは収穫ができない、それからお店は営業する場所がないというふうなことがいろいろありまして、私どもの熊本市の中心街に新市街というアーケードがあるんですけれども、そこを丸々開放して、そういったお店ができなくなった人たちに店を続けてもらうことで地元に残ってもらおうというふうな
玉木委員も御存じかと思いますけれども、ヨーロッパへ行きますと、私が親しくしているスイスの政府も、あるいはオランダもそうでしょうけれども、農業を小作のような、昔でいう百姓、そういうふうにしかまだ見ていないんじゃないか、この日本は。だけれども、スイスやオランダは農林水産省なんてないんです。日本でいう農協みたいなものはないんです。全部、経済産業省みたいなところの農業の部門が担当しているんです。
その地域では本当に先進的で、経産牛を百頭ぐらい持って、本当に地域の商業モデルだというふうに言われている酪農家の方は、ビジネスと百姓は違うんだと明確に言われました。なぜか。 森山大臣に伺いたいと思うんです。 自由貿易とはいえ、国民の命と生活を守る食の分野まで不安定な状況に追い込むべきではないと私は思います。 資料の一枚目を、戻ってごらんください。
私も幼い頃百姓をしておりましたから、農会からは大体記憶があって、教えられてですね、やりましたけど、大変単位農協が経営が苦しかった。そういうことを、その農協が、今お話にあったように、合併などを促進して経営強化をやってきた実績があるわけでございます。
何で農業はそういうことをできるかというと、あのうちの息子が帰ってきたけれども、百姓をやらずに遊びほうけていると言ったら、隣近所はみんな見ていますから、そんなごまかしはきかないんですね。そのぐらいやらないともう農業はやっていけないというのでやっているんです。
○齋藤参考人 ただいま紹介いただきました、山形で百姓をやっております齋藤でございます。よろしくお願いします。 まずは自己紹介ということで、私は会社を三つ持っておりまして、最初が有限会社いずみ農産でございます。平成二年に養豚を中心とした事業ということで立ち上げたんですけれども、実は、一昨年、大雨の被害で豚舎二棟が崩落しまして、豚が二百頭日本海に流れた、まさにその農場経営者でございます。
三十年になって、生産調整がなくなるんだから百姓はみんなつくるんだろうという、実際つくらなくてもマーケットの方ではそう認識するんだろうと思います。そうなれば、三十年は大暴落です。 今の国際価格が、FOBで、タイ米で八十円ぐらいなんですけれども、何と今、中国では二万円を超すような中国産のコシヒカリが出現している中で、日本が七千円とか八千円の市場が出ているというのは本当にびっくりです。
農民というのは恐らくいろいろな概念があって、農業を産業としてやる人もいれば、地域で農家を支える人もいれば、農民というのは日本語で言うと百姓でありまして、百姓というのは全ての民草のことなんですね。そうした意味で、農村でなりわいを支える全ての人の組合というのがもともと農協であった。 その一方で、組合員の要件として、農業者と極めて限定しております。