1961-12-07 第39回国会 衆議院 決算委員会 第10号
○勝澤委員 白雲観光株式会社というものが武州鉄道に関係して出てきておるのでありますが、この会社の状態と、これは武州鉄道の用地の取得を行なったようでありますが、この申請を許可した当時には、用地はどの程度の見通しを持っておられたのですか。
○勝澤委員 白雲観光株式会社というものが武州鉄道に関係して出てきておるのでありますが、この会社の状態と、これは武州鉄道の用地の取得を行なったようでありますが、この申請を許可した当時には、用地はどの程度の見通しを持っておられたのですか。
○久保委員 埼玉銀行の頭取が、脱退前かあとかわかりませんが、当初の発起人総代であった滝島さんにとってかわって、いわゆる鉄道用地買収の傍系会社というか、白雲観光株式会社の方へ移られた、こういうことはお聞きになっておりますか。
三十四年三月にはこの用地買収のために白雲観光株式会社を設立をいたしましたが、資金的にも、あるいは免許をめぐる問題についても、役員会の意見が一致しなかった。したがって、当時埼玉銀行の平沼頭取あるいはまた滝島白雲観光社長は、相次いで役員会を実は脱退をしておるのであります。そういう中に三十五年五月の公聴会では、このような中に西武鉄道等の猛烈な反対もあって、ついにこれは免許がされなかったのであります。
しかも、この発起人というか、事務局の代表であるところの滝鳥総一郎君、今度の嵐件の中心と思うのですけれども、この人が、三十五年に埼玉銀行の平沼さんが発起人脱退後、みずから作った白雲観光株式会社というものを追われて、資金調達に非常に困難をした、そういう状況であったのです。しかも新聞によるというと、その穴埋めに小笠原三九郎君を引っぱり出してようやく穴を埋めた、これが大体三十五年です。