1978-09-19 第85回国会 参議院 災害対策特別委員会 第2号
昭和五十三年五月十八日午前六時二十分ごろ及び同日の午後一時四十分ごろの二回にわたって、新潟県中頸城郡妙高村の妙高山国有林三十一林班に小班において大規模な崩壊が発生し、この崩壊土砂が泥流となって白田切川の両岸の山脚部を浸食しながらきわめて早い速度で流下し、下流の妙高高原町の住民、家屋、道路、鉄道などに多大な被害を与えたものであります。
昭和五十三年五月十八日午前六時二十分ごろ及び同日の午後一時四十分ごろの二回にわたって、新潟県中頸城郡妙高村の妙高山国有林三十一林班に小班において大規模な崩壊が発生し、この崩壊土砂が泥流となって白田切川の両岸の山脚部を浸食しながらきわめて早い速度で流下し、下流の妙高高原町の住民、家屋、道路、鉄道などに多大な被害を与えたものであります。
○説明員(小藪隆之君) 白田切川の土石流災害につきましては、災害後直ちに建設省土木試験所を中心といたしまして調査をいたしまして、流出土砂量の把握に努めたわけでございます。さらに林野庁とも調整を図りまして、先ほど農林水産省の説明にもありましたとおり、建設省といたしましては三十万立米の土砂に対応し得る砂防施設を築造するという計画を立てたわけでございます。
○説明員(瀬戸充君) 砂防部分の下流部の白田切川につきましては、関川の合流点まで約三・六キロメーターございますが、その区間につきましてはすでに災害査定を終わりまして、保留の解除もその後行いまして、災害復旧助成事業といたしまして、主として河積の拡大を中心といたしました抜本的改良復旧を行い、再度災害防止を図る考えでございます。 以上でございます。
昭和五十三年五月十八日午前六時二十分ごろ及び同日の午後一時四十分ごろの二回にわたって、新潟県中頸城郡妙高村の妙高山国有林三十一林班に小班において大規模な崩壊が発生し、この崩壊土砂が泥流となって白田切川の両岸の山脚部を浸食しながらきわめて速い速度で流下し、下流の妙高高原町の住民、家屋、道路、鉄道などに多大な被害を与えたものであります。
それから白田切川にかかっております県道の白妙橋、ちょうどあの西垣さんの家の前でございますけれども、あの白妙橋につきましては六月二十日に仮橋がかかっております。それによりまして一応あの県道も応急復旧、利用できるようになっております。 次に国鉄でございますが、御案内のように五月末日から復旧工事にかかっておりますが、現地でもお聞き取りのように一応十月の開通を目途に努力中でございます。
○説明員(高野國夫君) 災害の起こりました直後から建設省、林野庁の両機関で再々現地の調査でございますとか、あるいは情報の交換でございますとか重ねているわけでございますが、特に六月の二日と十九日の二回にわたりまして国有林の治山事業の担当者と、それから砂防関係の方々と打ち合わせを行っておりまして、今後におきますところの白田切川全域につきましての災害復旧工事の打ち合わせを行っているわけでございます。
白田切川の防災計画あるいはその後の管理につきましても、従前から現地におきましては前橋営林局と県庁、また中央におきましては林野庁、建設省と、そこで常時連絡調整会議をやっておりまして、十分一体的な管理が行われておると私どもは考えておるわけでございます。
○永原委員 白田切川に排土されたのが三十万立米、そのほかに相当量、百万近いものが地すべりとして土砂が流出したのではないかと思いますけれども、こういうものはどういうように処理なさったのでしょうか。
先ほど申しましたように、「約二万年前と推定される妙高山の大爆発では、白田切川流域は、北地獄谷から流れる大田切川とともに、大量の泥流が流下し、地形的には谷全体が大きな〃川〃となっている。
○説明員(山村勝美君) まあ事業の体質といたしましてそういう公営企業に対して持っておるものですから、住民の負担に耐え得るということで、たとえば今回の災害でもちょうど白田切川の両側に土せきがございましてそれを結んだパイプが流れておりますけれども、あるいは町の消火栓が幾つか流れておりますけれども、被害額としまして六百万ぐらいのものでそれほど重大な影響を及ぼすものではないというふうに考えております。
○志苫裕君 話のついでですから、防災課長あれですか、いまの深沢川と、従来どちらかというと深沢川の方が本流で、白田切川の方が水の量から言うと支流みたいな形になっておりましたところが、真っすぐ突き破って鉄道の土手を崩すという形になったわけですが、これから改良復旧を考える場合には、本流、支流の関係が変わりましょうか。
○志苫裕君 現地で、今度の災害の原因とかそんなものとは直接関係はないにしても、昔国鉄でない前の鉄道のころに、橋を二つつくることを惜しんで、深沢川の方には橋をかけたけれども、白田切川の方は橋にしないで小さいトンネルにしまして、あとは線路を土手で築いた。