1987-08-19 第109回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第2号
古見沖、アカヤ崎、嘉弥真口、マサー口、先ほど言いましたキャン口、登野城漁港前、真栄里−大浜あるいは富野北、荒川口等々、八重山地域だけでも数多くの群生があるわけであります。 県は県の立場、環境庁は環境庁の立場があることは承知しておるわけであります。ただ、この問題をそれぞれの立場で一歩も譲らないという形で突っぱねておっては、迷惑するのは地元の人々であります。
古見沖、アカヤ崎、嘉弥真口、マサー口、先ほど言いましたキャン口、登野城漁港前、真栄里−大浜あるいは富野北、荒川口等々、八重山地域だけでも数多くの群生があるわけであります。 県は県の立場、環境庁は環境庁の立場があることは承知しておるわけであります。ただ、この問題をそれぞれの立場で一歩も譲らないという形で突っぱねておっては、迷惑するのは地元の人々であります。
それから、最後にお尋ねのございました沖縄の漁港の修築事業でございますが、これは第七次漁港整備長期計画におきまして、沖縄県では平敷屋、泡瀬、伊平屋、荷川取、佐良浜、登野城、糸満、仲里、久部長、仲尾次の十漁港を修築事業として整備を進めているところでございますが、昭和六十一年度までに一港、仲尾次が完成いたしました。
○仲村委員 この地域は沖縄県石垣市の字登野城二三九〇から二三九四番までの地番がちゃんと打たれているわけでございまして、以前は古賀さんという方の所有地であったわけですが、その一部が最近粟原さんという方に売買されているわけであります。
○政府委員(亀谷礼次君) 沖繩県の中で申しますと、市は石垣市でございまして、字で申しますと登野城という字名になっております。
○政府委員(中江要介君) 登記上という御質問の趣旨がはっきり専門的に把握できませんでしたのですが、地籍ということですと、尖閣諸島の地籍は石垣市字登野城に属していると、こういうふうに了解しております。
記録によりますと、明治十八年に石垣登野城の古賀商店の主人公がそこへ行って伐採をしたというようなこともあるようでございますが、このたびの第二次大戦において、平和条約によっていわゆる台湾の帰属の権利を日本は放棄したわけでございますが、問題になるのは、台湾と尖閣列島が一つであって、それで明治の日本の侵略戦争によって取られたものが、第二次大戦においてこれが返還されたのであるから、それをひとつ、これは台湾が切
元来、尖閣列島は八重山石垣市登野城の行政区域に属しており、戦前には同市在住の古賀商店が伐木事業及び漁業を経営していた島であって、琉球列島の一部としてその領有権は日本にあることは明白でありましょう。