この度、沖縄県石垣市議会において、尖閣諸島の地名を石垣市字登野城から石垣市字登野城尖閣に地名変更する議案が審議をされます。六月議会です。従来から地番や字名があてがわれている尖閣諸島について、行政の効率化のために地方自治法に基づいて行われる字名の変更であります。沖縄県知事も、ちょうど一週間前の記者会見で、尖閣諸島の字名を変更することは市町村事務であり、石垣市で決定されることだと明言をされています。
沖縄県石垣市登野城という地番なんです。我々は、そこに登野城尖閣と付けることが行政上も効率的だし分かりやすいんじゃないかと、かなり長く、前からそういう希望があったんですね。そして、中山石垣市長が石垣議会に、今回、石垣市の一部であり我が国固有の領土である尖閣諸島の字名、表記につきまして、登野城から登野城尖閣へ変更する議案を提出されました。 いろんなことがあります。
一九〇二年、明治三十五年には、尖閣諸島は現在の石垣市である石垣島大浜間切登野城村に編入され、地番が確定をいたしました。現在は無人島でありますが、当時は開拓者の古賀辰四郎氏にちなみ古賀村と呼ばれ、最盛期には九十九戸、二百四十八名が生活し、漁業やかつおぶし工場などが行われていたと記録されております。
そして、この尖閣諸島に行くまでは非常に厳しいんですね、石垣島の登野城港というところから出まして百七十キロございまして、漁船で行けば、しけているときなんかでは十時間近くかかりますし、普通でも八時間程度かかります。非常に厳しい環境のもとに尖閣諸島はございますが、その尖閣を守るために、海上保安庁の職員の皆さんは本当に命がけで活動されています。
石垣市字登野城大正島と書かれていますよね。赤尾嶼としては書かれていません。大正島ですかね。(発言する者あり)あっ、登野城ですかね、ごめんなさい、登野城。⑤の2が、石垣市字登野城久場島と明確に書かれているわけです。つまり、登記上を見ても赤尾嶼、黄尾嶼とは載っていないわけですね。
まず、石垣市長から、尖閣諸島は現に地籍、地籍台帳の地籍ですね、住所でありますけれども、石垣市登野城二千三百九十から二千三百九十四番地とされておりまして、つまり石垣市の行政区であることは事実であると。
海洋レジャーに必要なプレジャーボートなどを係留、保管する場所につきましては、現在、石垣港の浜崎町地区、登野城地区において四百隻程度の収容が可能でございます。しかしながら、今後の海洋レジャーの需要の増加が見込まれることに伴いまして、プレジャーボートなどのための係留施設であるマリーナ、港湾法で言いますところの小型船だまりが不足することも予想されます。
さらに昨年は、石垣市登野城の地番である尖閣諸島へ中国人の上陸の事件もございました。さらには、石垣島と宮古の多良間島の間を中国の原子力潜水艦が領海侵犯するという事件も起こっております。私は、これらの個別の案件はすべて関連しているのではないかと見ております。 沖縄県は、東西に千キロ、南北に四百キロの海域を有する島嶼県であります。
○西銘委員 そうしますと、この魚釣島の所有権者は、沖縄県の石垣市の登野城という地番になっておりますから、地方税を払っていると思いますが、この所有権者は地方税を払っておりますか。伺います。
魚釣島の住所は石垣市登野城二千三百九十二番地であります。 外務省は、私は、今後とも法に基づいて毅然とした態度で主権国家としての決意を示すべきだと思うんですが、外務大臣、お願い申し上げます。
最後に尖閣諸島問題についてでありますが、尖閣諸島は沖縄の廃藩置県の後の土地調査で五つの島の、南小島が石垣市登野城二千三百九十番地、北小島が二千三百九十一番地、魚釣島が二千三百九十二番地、久場島が二千三百九十三番地、大正島が二千三百九十四番地、このようにして地番が付されて、我が国の公図、公簿上にも登録されて、明治十九年九月に、古賀辰四郎氏が、大正島以外の四島を三十年間無料貸与の許可を政府から受けておるわけであります
○島袋宗康君 沖縄県石垣市登野城の番地が付されている尖閣列島、これは現在二カ所の米軍の射爆場がありますけれども、その一つの島は久場島といって、これは個人有地でありますから賃料が払われております。もしも尖閣列島で領有権問題で紛争が発生した場合は当然に日本有事になるものと思われますが、この際はっきりしておく必要があると私は思います。
○西村(眞)委員 私の前に、あれは石垣市大字登野城という石垣市の行政区域にあるので、石垣市の市会議員と市会議長が尖閣に昨年視察に行ったわけですね。今回もその市会議員、市会議長が同行するという中で、市会議長はいろいろなことを言われたので断念した。石垣市の市会議員が行ったときに、政府は一市会議員の行政区域内の視察に対してコメントを出しておりました。私のときもコメントを出しておりました。
古見沖、アカヤ崎、嘉弥真口、マサー口、先ほど言いましたキャン口、登野城漁港前、真栄里−大浜あるいは富野北、荒川口等々、八重山地域だけでも数多くの群生があるわけであります。 県は県の立場、環境庁は環境庁の立場があることは承知しておるわけであります。ただ、この問題をそれぞれの立場で一歩も譲らないという形で突っぱねておっては、迷惑するのは地元の人々であります。
それから、最後にお尋ねのございました沖縄の漁港の修築事業でございますが、これは第七次漁港整備長期計画におきまして、沖縄県では平敷屋、泡瀬、伊平屋、荷川取、佐良浜、登野城、糸満、仲里、久部長、仲尾次の十漁港を修築事業として整備を進めているところでございますが、昭和六十一年度までに一港、仲尾次が完成いたしました。
○仲村委員 この地域は沖縄県石垣市の字登野城二三九〇から二三九四番までの地番がちゃんと打たれているわけでございまして、以前は古賀さんという方の所有地であったわけですが、その一部が最近粟原さんという方に売買されているわけであります。
○政府委員(亀谷礼次君) 沖繩県の中で申しますと、市は石垣市でございまして、字で申しますと登野城という字名になっております。
○政府委員(中江要介君) 登記上という御質問の趣旨がはっきり専門的に把握できませんでしたのですが、地籍ということですと、尖閣諸島の地籍は石垣市字登野城に属していると、こういうふうに了解しております。
記録によりますと、明治十八年に石垣登野城の古賀商店の主人公がそこへ行って伐採をしたというようなこともあるようでございますが、このたびの第二次大戦において、平和条約によっていわゆる台湾の帰属の権利を日本は放棄したわけでございますが、問題になるのは、台湾と尖閣列島が一つであって、それで明治の日本の侵略戦争によって取られたものが、第二次大戦においてこれが返還されたのであるから、それをひとつ、これは台湾が切