1975-11-12 第76回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第3号
災害発生個所は第一坑の登川部内、四百六十レベルの南第四北ナンバーワンの盤下、十二番の目抜きの採炭という個所でございます。 災害発生の日時は昭和五十年九月八日十八時三十一分ごろ。 罹災者は、亡くなられた方が五名でございます。
災害発生個所は第一坑の登川部内、四百六十レベルの南第四北ナンバーワンの盤下、十二番の目抜きの採炭という個所でございます。 災害発生の日時は昭和五十年九月八日十八時三十一分ごろ。 罹災者は、亡くなられた方が五名でございます。
この図面の上は東になっている図面でございますが、この上部のほうが登川部内でございまして、ちょうどまん中辺から下が美唄部内になっております。今回災害が発生いたしましたのは、右の下のほうに赤くまるで囲んであるところがあると思いますが、Sの三号風道——南三号風道と書いた個所がございます。この付近で災害が発生しております。
この紙のちょうどまん中から上が登川部内でございまして、まん中から下が美唄部内となっております。それで災害の発生いたしました個所は、右下の辺にSの三号風道、南三号風道と書いた斜めの線がございます。ちょうどこの付近で災害が発生しております。 この図面をもとにいたしまして若干御説明いたしますと、人員の昇降は、中央付近に第一立て坑というのがございますが、この第一立て坑を使って人員は昇降しております。
当鉱の出炭量は月に約九万一千トンでございまして、災害を起こしました登川部内に、九万一千トンのうち二万一千九百トンを月間出しておる山でございまして、原料炭の比率が約七〇%でございます。鉱山労働者数は全鉱で二千四百六十一名おりまして、登川部内には五百三十三名が従事しております。 罹災者数は、死亡が現在のところ十五名でございまして、負傷者が二十二名、行くえ不明が四名となっております。