1973-03-29 第71回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第5号
災害の発生は、三月九日午前十一時五十分ごろろ、砂川炭鉱登川坑において大規模な落盤が起こり、当時当該区域で作業していた二十二名のうち、十六名は脱出したものの、残り六名が崩落した坑道の中に閉じ込められたのであります。
災害の発生は、三月九日午前十一時五十分ごろろ、砂川炭鉱登川坑において大規模な落盤が起こり、当時当該区域で作業していた二十二名のうち、十六名は脱出したものの、残り六名が崩落した坑道の中に閉じ込められたのであります。
だから登川坑がだめになれば、これは片ちんばと同じで、やはり先行きについて心配するのは当然だと思うのですよ。そういうことで、かねがねこの山については分離経営等のうわさ等もたっていて、それに加えてこの事故ということで、いま急速に離山ムードが高まっておる。
歌志内に到着後、直ちに、災害が発生した登川坑坑口におもむき、生花をささげ、犠牲者の御冥福を祈ったのであります。 その後、歌志内炭礦体育館において、住友鉱業の会社側、労組、職組代表及び地元代表歌志内市長等より、それぞれの立場から説明を聴取するとともに、要望を承ってまいりました。
しかしながら、世界的にガス突出の経緯を見ましても、また特に登川坑というものがガスが非常に多い深部であるというような自然条件の変化を考えてまいりますると、当然のことながら、最悪の事態を予想しての退避ということを考えなければならなかったのではないかというように実は考えるわけであります。