1950-06-17 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第32号
○大久保証人 大体木炭の事故にもいろいろ変遷がありまして、昭和十九年ごろまでは、あるいは昭和二十一年ごろまでは、業者と政府との契約はこうなつておりますが、日通との間において当然日通が責任を持つのだから、政府は発送報告通りに売拂いをした、それであとは業者と日通でこれを解決していたのです。ところが昭和二十三年に複数制になつた。指定業者も複数制になり、卸売業者も複数制になり、小売店ができる。
○大久保証人 大体木炭の事故にもいろいろ変遷がありまして、昭和十九年ごろまでは、あるいは昭和二十一年ごろまでは、業者と政府との契約はこうなつておりますが、日通との間において当然日通が責任を持つのだから、政府は発送報告通りに売拂いをした、それであとは業者と日通でこれを解決していたのです。ところが昭和二十三年に複数制になつた。指定業者も複数制になり、卸売業者も複数制になり、小売店ができる。
それ以前には覚書を交換しまして、発送報告通りにやつていた。ですから政府にはちつとも減耗に責任も何もなかつた。ところが複数制にするのだ、何にするのだというのでやかましくなり、これを業者と日通とでやると非常にもんちやくが起きて来るから、われわれは正当のものを渡す。あるいは事故の起きたものに対しては告知によつて政府に弁金する、こういう方法にかえて行つた。