1984-04-07 第101回国会 参議院 運輸委員会 第4号
最後になりますけれども、この阿武隈急行株式会社発起人会議の案というのがあるわけですね、五十九年二月二十五日付ですか、この案を見せていただきました。この会社の要員、人員は七十二名なんですね。その七十三名のうち五十人以上が福島交通から入るわけです、第三セクターの。この人たちが今言ったように全額退職金をもらっていないわけですね。退職金が残っているわけです。
最後になりますけれども、この阿武隈急行株式会社発起人会議の案というのがあるわけですね、五十九年二月二十五日付ですか、この案を見せていただきました。この会社の要員、人員は七十二名なんですね。その七十三名のうち五十人以上が福島交通から入るわけです、第三セクターの。この人たちが今言ったように全額退職金をもらっていないわけですね。退職金が残っているわけです。
「財団法人公務研修協議会設立発起人会議事録」を私はここに持っていますよ。この中に、「基本財産については、今後とも関係方面の協力により毎年度六百万円の増額を図り、最終的には六十一年度に二千四百万円にする予定である」「財団法人公務研修協議会設立のため尾崎朝夷氏より寄附された六百万円を、設立当初の基本財産」としたい。これは全員異議なく可決承認した。
発起人会議のこの段階で、どの口座とかいうようなことはお聞きいたしておりません。六百万円寄附いたしますということをお聞きいたしましたので、このようになっておるわけでございます。
先生いまお話しありました件について、私も発起人会議事録として承知しておりますが、これ以上のことについては、少なくともそういう話は聞いておりません。
これは中央FMの昭和四十五年六月二十四日行なわれた発起人会議議事録であります。それの第一号議事、経過報告の件、ここでたいへんわかりやすく書いてある。「発起人田實渉の代理人中野和明より発起人兼創立委員松尾昭彌に対し経過報告の要請があり、同松尾昭彌は大要次のように報告した。本活動は約十年前にさかのぼる。
○楢崎分科員 昭和四十五年六月二十四日午前十時、場所は赤坂プリンスホテル第二十八号室、中央FM音楽放送発起人会議議事録。
当時このことを調べて参りますというと、東京京橋の埼玉銀行会議室において、発起人会議が十二月に持たれております。そしてその十二月発起人会を持つと同時に、中央線三鷹駅――秩父市御花畑間の約六十二キロ、これに対する免許申請をしたものであります。三十四年三月にはこの用地買収のために白雲観光株式会社を設立をいたしましたが、資金的にも、あるいは免許をめぐる問題についても、役員会の意見が一致しなかった。