2021-06-14 第204回国会 参議院 内閣委員会 第27号
そもそも、外国資本がどうのこうのという発想そのものが、実は実態としては、行為に着目する考え方じゃなくて、属性に着目する考え方です。通常、刑罰などを予定する場合には行為に着目しますが、今回のこの法案のそもそもの発想は、実は属性に着目しているのではないかというふうに考えています。
そもそも、外国資本がどうのこうのという発想そのものが、実は実態としては、行為に着目する考え方じゃなくて、属性に着目する考え方です。通常、刑罰などを予定する場合には行為に着目しますが、今回のこの法案のそもそもの発想は、実は属性に着目しているのではないかというふうに考えています。
いかにこの発想そのものが異常か、そういう観点に立たないのか。 大臣、大臣にお聞きしたいと思います。発想がおかしいと思いませんか。
○上川国務大臣 今、委員のお話を聞かせていただきながら、今、年齢で、委員の方は、子供に対してどう教えるのかという発想、そして大人に対してもどういうふうに啓蒙していくのかという、こういう発想そのものの中に、子供はこの年から下とか、この上からは大人であるという、その一つの概念が、暗黙のうちに、大人は子供に対して教えるもの、そういう物の意識、物の考え方がちょっと入っているのではないかなということをちょっと
こういった意味で、発想そのものはいいんですよ、こういったイノベーションの促進にもつながるんですが、そういったときに、我々、常に忘れちゃいけないのが、災害時にはやはりBCP、ビジネス・コンティニュイティー・プランということで、要は事業継続計画、安定して事業が継続できるかということは、これは我々、我々というのは国側は、絶対にここは犠牲にしちゃいけないと思うんです。
そういう事態があるのなら、濫用ともおっしゃいましたけれども、やはりそういうのは別で、権利を制限することによって濫用を防ぐという発想そのものが株主提案権にはなじまないんです。濫用というのはあるという前提で、しかし提案権は保護するという明確な立法意思があるわけですね。
そして、加えて、先ほどから何回も出ておりますが、再犯防止法あるいは推進計画などもできてはきているわけですけれども、ただ、依然として、伝統的な考え方というか、犯罪には刑罰という発想そのものからなかなか抜け出してはまだきていないなというのが実際のところではないかと思います。
このことは年金カットの新ルールを議論する前提として欠かせない重要な事実であり、それをわかりやすく国民に伝えるためのパネルを認めないというのは、まさに、よらしむべし、知らしむべからずというお上の発想そのものであります。 さらに、丹羽君は、TPP特別委員会で認められたパネルであっても、厚生労働委員会で使うことを禁止しました。
○長島(昭)委員 そもそも、自衛力、自衛隊の能力の不足を民間によって補うという発想そのものがいかがなものかという声は強いわけです。 私も防衛省におりまして、次のページに、今大臣もお触れになりましたけれども、二二大綱と二五大綱、これを両方併記させていただきましたけれども、当時から輸送力の問題というのは相当深刻に防衛省内でも受けとめられていた。
そういう若者に、企業を通じて戦地に送るようなシステムを一経営者に提案をする、私はその発想そのものが恐ろしいと言わなければならないと思います。 このような戦争法案は廃案にするべきだと求めて、私の質問を終わります。
その後も引き続いてこういうようなことで、私に上がってきたのは二十八日というような状態でありますので、なぜこんなふうになってしまったのかということを考えてみると、やはり発想そのものが単なるウイルス対策みたいなことで済まされるものだということで、前提で多分来ちゃっていたんだろうと、私はそうずっと思っております。
世の中はかくあるべし、風俗かくあるべしというのを上から決め付けて、これは当てはまるからもう規制するんだというその発想そのものを、これはもう時代遅れだと私はつくづく思いました。 その中で、今回、ダンスを外したと、当たり前ですよね。何でダンスが外されたのか述べてください。
○小山委員 ぜひ、五年間の調査ということではございますけれども、そもそも、こういった調査をするとか規制を入れるということ自体に矛盾があるのではないか、そしてまた、准組合員も含めて組合員に対して奉仕をするということですから、准組合員が何かおかしいというような発想そのものが間違っているのではないかと私は思っております。
ナンバープレートというのは、登録許可制という性格を有していたために、今回のように何らかの図柄を入れるという発想そのものが我が国ではこれまでありませんでした。しかし、今回、二〇二〇年の東京オリンピック・パラリンピックの開催を機に、我が国においてもこのような図柄入りナンバープレートの導入が検討されるということは、私は大変にいいことだというふうに思っております。
だとすれば、エネルギーをどんどん消費すれば、電力をどんどん消費すれば、それが収益増につながるのだという基本的な思想、発想そのものに少し変化を加えるべきではないかなというのは、これは私個人の考え方でもあります。
そうすると、人口の問題、人口を捉える発想そのものが、今はそうでないかも分かりませんけれども、これから百年、二百年先を考えれば、年を取ってもちっとも機能が落ちない、逆に記憶だとか経験だとか、そういうものがどんどん積み重なってくることによって社会に貢献できる、そういうライフスタイルというか、人口の意味合いが変わってくる。
しかし、それでみんながやめていくというのは、それでもなおかつやっていけるだけの収入に足り得ていないということでありますから、規模拡大がいいんだというようなことの発想そのものも改めるようなことが必要だろう。
この技術が進化をし、普及をしていきますと、先進国の物づくりのあり方、またコストが大きく変わってきまして、人件費の安い新興国に製造拠点を移すという動きが今までありましたが、その発想そのものがもしかしたら覆されるのではないかという可能性もあります。
○国務大臣(下村博文君) 率直に言って、そういう発想そのものが共有できません。 私が申し上げているのは、「私たちの道徳」の趣旨というのは、これは最初に制作するとき、各教育委員会に対して、家に持ち帰って是非家庭や地域でも活用されるような、そういう教材として作りましたと。
だから、発想そのものを、PDCAサイクルではこれは解決できない問題なんですね。PDCAサイクルというのは改善ですよ。だけれども、根本的に手法、手段、政策そのものが改められるということでは、前回、大臣、本会議での御答弁のとおり、これは大臣が政策そのものを変えるということで、それは本会議の御答弁どおり。でも、私は、違うんです、手法のことを言っているんです。