2021-04-14 第204回国会 衆議院 国土交通委員会 第11号
しかしながら、この二月一日、まさにアウン・サン・スー・チーさん始め政権幹部が拘束をされ、ミャンマー国内に緊急事態宣言が発布をされて以来、ミャンマーの国軍、警察の実力行使によって、多くの、無数の市民の皆さん、死傷者が発生し続けているというのはあってはならないことだと思っておりますし、大変な衝撃を受けましたが、こうしたことは言語道断だというふうに受け止めているところでございます。
しかしながら、この二月一日、まさにアウン・サン・スー・チーさん始め政権幹部が拘束をされ、ミャンマー国内に緊急事態宣言が発布をされて以来、ミャンマーの国軍、警察の実力行使によって、多くの、無数の市民の皆さん、死傷者が発生し続けているというのはあってはならないことだと思っておりますし、大変な衝撃を受けましたが、こうしたことは言語道断だというふうに受け止めているところでございます。
思えば、更にその二年前の平成二十八年九月二十六日に、当時は森英介審査会長のもとに、この憲法審査会におきまして憲法の議論を始めましたけれども、当初は自由討論で、テーマは、ちょうど憲法発布七十年、そして、十一月でありますので、立憲主義、違憲立法審査権、そして、三月には参政権の保障、緊急事態、解散権のあり方、四月には国と地方のあり方、五月には新しい人権、六月は第一章天皇についても、参考人を呼んで精力的に議論
特に緊急事態宣言を出されますと、そうした権能が法的根拠に基づいて発布されるということになっています。 我が国においても、こうした国内における状況を鑑みて、やはりしっかりと今後の我が国の体制の強化を図っていくということは非常に重要な時期に入ってきたと思います。
トランプ大統領は、六月、バイオ農産物規制の近代化を図る大統領令を発布し、米国のバイオ農産物を諸外国に受け入れさせるための戦略の策定を命じました。 日本は、既に、米国の要求を先取りするように、世界の規制の流れに反して、人に対する発がん性が指摘される農薬用グリホサートの残留基準値を大幅に緩和しました。さらに、ゲノム編集食品の一部について、表示義務を課さないというルールの運用を開始しました。
夫婦仲よくしましょう、兄弟仲よくしましょうと、そのことは取り出して、今でもマハティール首相にも褒められたというような流れでおっしゃいましたけれども、そうではなくて、教育勅語そのものが言っていることは、国家主権、天皇という、天皇を頂点とする一つの家族として考えたときに、親孝行しましょう、そのことが天皇に対する忠誠につながるんだというような流れの中で、教育勅語が教育の根幹として、明治以降、この教育勅語が発布
こうした危険性をちゃんと取り除いて、政治や行政が信頼をちゃんと取り戻して、そして、我々が出す法律やいろいろなものについては、発布するものについては、きちっと議論を経て、国民の皆さんのサービスの向上につなげていくんだという当たり前の行政に、政治にやはり戻していく責任は今の内閣にあります。 そのことを申し上げて、八次における分権一括法について質問をさせていただきたいと思います。
○武正分科員 時間が参りましたので終わりますが、過去、昭和五十八年、瀬戸山文部大臣が改善勧告をしていることもありますので、私はやはり、これだけ多くの国民の皆さんが関心を持っている、そして、教育勅語の根本原理ということで、明治二十三年のその世相、時代背景で勅語が発布されたということも踏まえると、やはりその排除の徹底ということの通達を改めて流すべきということも申し上げまして、質問を終わりたいと思います。
内村鑑三不敬事件というのは、明治二十三年の十月に教育勅語が発布を、公布をされる、それから年末にかけて各学校に教育勅語が配られる。そして、翌年の正月に、始業式のときに、この教育勅語の奉読式というところが多くの学校で行われます。内村鑑三は、高等第一中学校でしたか、今の東京大学の教養学部の前身になる学校ですけれども、ここの教師をやっておりました。
その夫のギャンブル依存症を見て心を痛めて、自分が天皇になったときに先ほど申し上げましたすごろく禁止令をすぐ発布されたということなんですね。 これ、やっぱり意味が深いと思うんですよ。ギャンブル依存症の夫を憂うその妻の気持ちが最初から、千三百年引き継がれてきているということなんですね。これ、今にも通じるわけですよね。
現行憲法が発布され、この十一月三日で七十年を迎えたわけですが、これだけ長い間使ってきたこともあり、また、我が国の隅々にまで定着していること、このことにベースを置いて我々は議論を進めていく必要があると思っています。 四番目に、改憲の必要性について申し上げます。 我が国の憲法は、他国に比べ、規律密度が大変粗い、そして、抽象的表現が多かったり、法令によって規定する部分が多くなっております。
例えば、これも読売新聞に報道されていたんですが、水戸地方検察庁が昨年から十五件の性犯罪の事件について実名を伏せた形で勾留請求したところ、裁判所がそのうちの八件については実名を書いたまま勾留状を発布したという案件があったと聞いているんですよね。そういうような形で、裁判所の理解というのがやはり相当弱いと私は思うんです。
いわゆるGHQ、占領軍によって起草された憲法、現在の憲法ですね、憲法発布五十年の際に、この起草に当たったアメリカの人たちが日本に来て、日本人というのは何だ、もう五十年もたっているのに自分たちで自分たちの憲法を作れないのかというような発言もあったぐらいであります。
だから、それをでは金科玉条に守れとは言っていませんけれども、まず、そういう基本的な認識がないと、これは憲法を発布して初日ならともかく、白地で何か議論しましょうという話になかなかならないので、これから議論するに当たっての土台を共通化したいということでお聞きしただけなんです。
かくのごとく、上に聖天子あり、下に愛国先覚の国民あり、また事務的に精励の当局あり、かくのごとく上下一致して長年月の努力の結果、ようやくにして成立しましたところの帝国憲法が、その発布以来今日に至るまで幾十年、これがいかに大いに我が国の国家の発展、我が社会の進歩に役立ったかは、ここにちょうちょうするまでもありません。その憲法が今一朝にして匆々の間に消滅の運命にさらされているのであります。
プレスコードというのは、GHQ、進駐軍、占領軍ですね、これが昭和二十年の九月十九日に発令して、二十一日に発布された。この当時ですから、基本的には新聞に対してなんですね。 それは、報道の自由と真実というものを守るため、日本に言論の自由を確立するためというふうな名目のもとに、このプレスコードというものが制定されたんですけれども、よくこんなことを言うなと。
日本国憲法が発布されてから、それと同時に当分の間と書いてある法律が、今でも当分の間なんですよ。医療界に聞いても、日医の副会長が持ち分ありには問題がないと言っているんですよ。何でそれを放棄する意味がありますか。 私は、事業承継という契機を除いては、持ち分ありがこのまま存続すると思っています。
今から千四百年以上前に聖徳太子が発布した十七条憲法の第一条は、有名な和をもってとうとしとなすから始まり、協調、親睦のとうとさを唱えているわけでございますが、その六条には、日本古来の勧善懲悪を礼賛し、よいものは褒め、悪い人には悪いと言ってやりなさい、このように唱えられております。
現行憲法は米国占領下においてGHQ草案を基に作られたことに鑑みれば、大日本帝国憲法が発布されたときのように、日本人の手により、日本国の伝統や日本国民ならではの考え方を熟考して取り入れた憲法改正がなされるべきであります。かつ、現行憲法は、実質的に戦勝国が敗戦国の憲法を作るという、国際法上その有効性について疑問が生じることから、速やかに日本人の手により改正が行われるべきです。
地域の多様性にどういうふうに対応するかということは、これは地方自治の問題でもあり、殊さらに言えば、民主主義の根幹にかかわることでありますが、全国市町村は、小学校単位に、明治二十二年の町村制発布以来の自然条件があり、農業でいえば、作物があり、担い手があり、神社やお寺があって村人の暮らしが成り立っております。市町村も広域合併し、随分大きくなりましたけれども、やはり単位は小学校単位だと思います。
しかし、聖徳太子は同時に十七条の憲法、まさに憲法でございますけれども、発布しております。これは、第一条に分かりますように、和をもって貴しとなすと。まさにそれが第一条なんですよ。第一条、決して好戦的なものではない。しかも、第十七条、一条と十七条が非常に大事です、十七条は、十七にいわく、それ事は独り定むべからず、必ず衆とともにあげつらうべし。