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13件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2012-03-01 第180回国会 衆議院 予算委員会 第19号

遺児というのは、先ほど総理がおっしゃったように、災害遺児病気遺児、交通遺児、いろいろな遺児がいるわけですね。この遺児というのは、先ほどの私立高校であっても公立高校であっても、まさにこの二百五十万以下、生活保護と同程度の厳しい状況の中で子供進学させているという家庭がほとんどです。  

下村博文

2010-03-17 第174回国会 衆議院 文部科学委員会 第8号

あしなが育英会ですから、遺児家庭、これは交通遺児だけでなく、災害遺児とか病気遺児とか、最近は自殺遺児が多いんですね。とにかくそういう遺児子供たち高校大学進学の夢をということで、民間団体ですが応援をしている育英会であります。この会で調べましたら、ほとんど九割が母子家庭でありますけれども平均年収が百七十万ぐらいなんですね。ですから、生活保護家庭以下の家庭です。

下村博文

1999-07-01 第145回国会 衆議院 運輸委員会 第11号

ちょっと御説明させていただきたいのでございますが、育英会育英事業そのもの昭和四十四年からスタートしているわけでございますが、その後、昭和五十年代後半になりまして、交通遺児だけでなく病気遺児あるいは災害遺児、こういうものにも奨学金を出すべきではないかというような議論がかなり大きくされたわけでございます。

大坪正彦

1999-05-27 第145回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第6号

あるいは、この奨学金で育った交通遺児たちが、さらに災害遺児とか病気遺児にも進学の夢をと奨学制度づくり中心になりまして、平成五年、六年前でありますが、そこからいわば派生をして、任意団体あしなが育英会という形で別な団体が誕生して、交通遺児以外の遺児進学を面倒を見ている。これは任意団体でございます。今、こういう二つの流れがございます。  

藤村修

1998-05-13 第142回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第8号

その当時、そういう災害遺児病気遺児の問題につきまして、そういう大きい問題となりまして、当時の         —————今の内閣内政審議室、ここで調整をしていたというような経緯はあるようでございます。  その関係の中で、私ども実態はよくわかりませんが、当時、橋本総理は自民党の幹事長か何かやっておられたというふうに思うのですが、その辺との連絡があったような話はうわさとしては聞いております。

大坪正彦

1997-12-04 第141回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

武田会長誇りと思うと述べた、遺児たち自身恩返し運動災害遺児から病気遺児救済にまで拡大していくとき、これをよしとする遺児奨学生OB支援者あしながおじさんの側と、あくまで交通遺児だけのことを考える側との対立が起こりました。  総務庁は、交通安全対策一環ということで、災害遺児病気遺児関係ないわけです。それが厚生省にも及ぶ話となって、役所の管理監督権限が縮小すると考えたのでしょうか。

藤村修

1997-06-17 第140回国会 衆議院 文教委員会 第20号

これが今でも行われておりますあしなが運動といいますかあしながおじさんの愛に感動した、奨学金を受けた学生たちOBあるいは大学生たち中心になって、今度は自分たちと同じ境遇の災害遺児とか、これは災害で親を亡くした子供たち、あるいはさらにもう遺児という区別なく、とにかくお父さんが亡くなってお母さんが苦労をしている、そういう実態はみんな一緒ではないかということで、病気遺児も含めた奨学金制度をという運動にまで

藤村修

1997-06-17 第140回国会 衆議院 文教委員会 第20号

武田会長誇りと思うと述べた遺児たち自身恩返し運動が、災害遺児から病気遺児救済にまで拡大していくとき、これをよしとする遺児奨学生OB支援者あしながおじさんらのたくさんの方々の側と、あくまで交通遺児だけのことを考える側との対立が起こりました。  総務庁は、交通安全対策一環ということで、災害遺児病気遺児関係ないわけです。

藤村修

1996-02-23 第136回国会 衆議院 文教委員会 第3号

そこで、私ども関係では、あしなが育英会というのは災害遺児とか病気遺児就学援助をする民間団体でございますが、ここがそういう人たちの把握をし、それから六十数人への奨学金貸与も去年の四月から始めているところでございます。しかし、そういう就学援助より以上に心のケアというものが非常に今深刻で、かつ重要だということが、去年、育英会の方でも調査をしてわかってきたことでございます。  

藤村修

1996-02-23 第136回国会 衆議院 文教委員会 第3号

藤村委員 続きまして、阪神淡路大震災の関連でもございますが、奥田大臣、ちょっと聞いていただきたい点は、私ごとでもございますが、私自身は、学生時代から、交通遺児交通事故で親を亡くした子供たち奨学援助ということで、学生募金運動であるとか、あるいはそういう育英事業に直接携わったり、さらに広がりまして災害遺児とかあるいは病気遺児とか、親を亡くした子供たち奨学制度と教育問題、こういうものにずっと四半世紀以上携

藤村修

1995-05-12 第132回国会 衆議院 厚生委員会 第11号

実は、私が関係しておりますあしなが育英会というところで病気遺児、災害遺児進学を支援しておりますけれども、今回、この震災遺児応援にも積極的に取り組みをさせていただいています。このたび震災で父や母を亡くした子供たち作文集、「とってもくやしい」というこの小さな作文集ですけれども、発刊をさせていただいて、大臣にもお届けをさせていただきました。

山本孝史

1994-10-21 第131回国会 衆議院 文教委員会 第1号

さらにその夏、これは進学できた災害遺児交通遺児一緒になって、今度は病気で親を亡くした病気遺児にも進学を、こういう運動を続けまして、ついに去年、平成五年春に奨学金制度ができ、スタートしております。そして、これら遺児運動が、あしながさんへの恩返し運動ということで大変世論も熱心に支持をいただいているという歴史がございます。  

藤村修

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