2000-04-26 第147回国会 衆議院 建設委員会 第12号
もちろん、その後、有珠山の噴火、それから小渕前総理の病気退陣に伴ういわゆる政局の激変がございまして、いろいろな形で多忙をきわめられたということは想像がつくわけでございますので、それが今日までどうであるということは私自身は申し上げませんけれども、大臣として、私も今回の建設委員会での質問が今国会での最後の質問になると思います。
もちろん、その後、有珠山の噴火、それから小渕前総理の病気退陣に伴ういわゆる政局の激変がございまして、いろいろな形で多忙をきわめられたということは想像がつくわけでございますので、それが今日までどうであるということは私自身は申し上げませんけれども、大臣として、私も今回の建設委員会での質問が今国会での最後の質問になると思います。
(拍手) 佐藤内閣が池田前総理の病気退陣のあとを継いで誕生いたしましたのは、ちょうど昨年の十一月の九日でございました。いわゆるまる一年は昨日でございました。個人で言えば、ちょうど一周忌を迎えるということでございます。当時私たちは、佐藤総理の心の奥にひそむ強い反動性を懸念するとともに、実兄である岸元総理にも匹敵するファッショ的な性格を危惧していたのであります。
個人としましては、池田前首相の病気退陣に対し、まことにお気の毒に思いますし、病気の一日も早く全快されることを心からお祈りする次第でございます。しかし、公の立場で見た場合、池田前首相が高度経済成長政策の失敗のあと始末をすることができず、みずからまいた種をみずから刈ることなく退陣されたことにつきましては、政治的責任があると思いますし、遺憾であると考えるわけであります。