2005-02-25 第162回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第1号
記録によりますと、昭和十九年九月二十五日に、疎開する方々、疎開者を乗せまして鹿児島港に向け名瀬港を出発したところで、敵潜水艦の雷撃を受け、薩南諸島近海で沈没した、こういうことでございます。
記録によりますと、昭和十九年九月二十五日に、疎開する方々、疎開者を乗せまして鹿児島港に向け名瀬港を出発したところで、敵潜水艦の雷撃を受け、薩南諸島近海で沈没した、こういうことでございます。
それから、疎開者につきましては百五十四名ということでございます。これは名簿等ございませんので、内訳等についてはわかりません。それから、便乗者ということで、陸海軍関係者が二十四名乗船しておったということでございます。 この事故によります死亡者数でございますけれども、総数百八十二名ということでございます。軍属船員が十一名、警戒隊員が五名、疎開者が百四十八名、便乗者が十八名、こういう記録がございます。
○大槻政府参考人 お尋ねの点は、疎開者と言われる方々のことだと思うんですけれども、それがどういう方々で、どういう年齢の方々でという資料は私どもの引き継いだ資料にはないということでございます。
戦中は、戦災疎開者の緊急開拓事業での入植など、戦後でいいますと、引揚者、復員者を対象とした緊急開拓事業があります。この戦後の緊急開拓事業は、昭和二十年十一月九日の閣議決定によるものですが、北海道に二十万戸、当時の北海道の農家戸数はおよそ二十万戸でありますが、これに対してこの入植計画は実態を全く無視した計画でありました。
その後二十二年から二十四年にかけて、疎開者の都市への復帰、あるいは引揚者の帰国、さらに二十五年の朝鮮戦争を契機といたしまして経済復興がありました。その後の高度経済成長に伴いまして、だんだん都市部へ人口が集中し始めた。その時点では出発当初、二十二年当時は農村部の方が人口が集中しておったわけですが、だんだん逆転し、都市部へ進んでいく、こうした背景を持っているわけであります。
疎開者が恐らく石川県にもたくさん来たと思います。私たちの山梨県というところにも、私の家にも大体四世帯ぐらいの皆さんが来た。一クラスが大体七十人、八十人、木の机に三人がけ、四人がけの中で私たちはお互いに肌をこすり合うようにして教育を受けたものです。そして、中には知恵おくれの子供も、あるいは体に重い障害を持った子も、松葉づえの子も、当時は今のように養護学校というものもありません。
もう一点、厚生省の方に伺いたいのですが、これも私、予算委員会の分科会でお伺いしたのですけれども、例の台湾から帰る疎開者の方々の乗った栄丸が沈没しまして多数の犠牲者を出したわけですが、これは私、予算委員会で質問したとき、森下厚生大臣は、早急に調査するということをちゃんとおっしゃっておられましたので、どういう調査をされて、どんなふうな状態まで来ているのか、お伺いします。
恐らく家族を含めれば三千人ぐらいに上るのではないかと見られますけれども、こういう戦時疎開者の方々のその間の精神的、肉体的な苦痛に対する見舞い金あるいは補償金というものを日本政府として全くやってきていないという事実、これはやはりここで指摘せざるを得ないわけであります。 実は十二年前に、沖繩と同じでありますけれども、小笠原諸島は日本に返還されました。
この結果を踏まえまして、戦時疎開者の帰島問題にも対処してまいりたいと考えております。
帰島の援助とその間の長期の疎開者の方々の物質的、精神的な労苦への慰謝、この措置を政府として早急にとられることを約束していただきたいと思います。いかがでしょうか。
そうすると、その疎開しておる、この台風災害に遭って疎開しておる三万人の疎開者名簿全部当たって、オーストラリアの大使館から、その母親、お母さんの名前を探し出してこの娘さんのところに通知してくれた。この方は、結局「これは一体、どういうことか。人間尊重の気持ちの違い、その差の大きさに私はつくづく考えさせられた。」というふうな指摘があるわけです。
軍人でも正規の軍属でもなかったわけですから、その疎開者が、死没者が叙位、叙勲を受けられたということは、これに準ずると認められた者、こういうふうに理解――もうこれ以外には考えられない、こう思うんですが、総務長官、いかがでしょう。
私の調査によりますと、第一回は学童四百七十三名、一般疎開者(学童以外)百五十四名、第二回が学童二百四十八名、一般疎開者(学童以外)六十五名、計三百十三名、合計、学童が七百二十一名、一般疎開者が二百十九名、合わせてトータル九百四十名と、こう私の調査によりますとなっておりますが、どっちが正しいんでしょうかな、いま食い違いがあるわけですが。
終戦直後、農村に帰っておった都市からの疎開者、それから、大陸から引き揚げてきて焼け野が原である都市に対し就職ができなかったので、ほとんどが農山漁村に居ついたわけでございますが、しかし、就職の場所がないので、都市の職場が復活すると同時に都市へまた戻ってきたわけでございます。そうして、政治の上で一番大切な問題として政策的に求められたものは、まず国民に職を与えるということであります。
(六) 戦時中、強制疎開者が帰国途上遭難した”さかえ丸事件”等の補償問題を解決されたい。 三、上野村村長 下地一弘君 (一) 返還協定の衆議院における可決を歓迎する。 (二) 軍用地地主及び基地雇用員の生活を無視する基地の即時全面撤去論には賛成できない。 (三) 核抜きについては、日米相互の信頼の上に立った返還協定を信ずる。
それから、疎開者はおそらく東口のほうにもうすでに入ったというふうに聞いております。
○阿部(昭)委員 そこで、この疎開者特別処理委員会というのが四十年の十二月に発足して、万博事務総長として名をはせた当時の鈴木副知事が責任者になっていますね。
そのかたわらで、疎開者は踏みつけられっぱなしで二十年間経過して力がないわけでありますから、今度の市街地改造ビルの中で新たなスペースをつくって、高層建築になるわけでありますから、その中で疎開者の問題というものを救済しよう、そういうところで鈴木委員会が、疎開者に対して特別なる計らいをやろうということになったが、この資金のめんどうなんというものは、ほとんど見てないじゃありませんか。
陳情書外二件 (第六八五号) 靖国神社法案反対に関する陳情書 (第六八六号) 同外一件 (第七二 九号) 同外一件 (第七六二号) 靖国神社の国家護持に関する陳情書 (第六八七号) 同 (第七二八号) 人事院勧告の完全実施に関する陳情書外一件 (第六八八 号) 同 (第七六〇号) 恩給の改善に関する陳情書 (第六八九号) 同 (第七三〇号) 戦時中の強制疎開者
同外十二件(和田耕作君紹介)(第九六〇二 号) 同外十二件(池田禎治君紹介)(第九七〇九 号) 同外十二件(曽祢益君紹介)(第九七一〇号) 同外十二件(門司亮君紹介)(第九七一一号) 同外十二件(和田耕作君紹介)(第九七一二 号) 同外九件(河村勝君紹介)(第九七一九号) 同外九件(竹本孫一君紹介)(第九七二〇号) 同外九件(和田耕作君紹介)(第九七二一号) 戦時中の強制疎開者
運輸省自動車局 長 鈴木 珊吉君 事務局側 常任委員会専門 員 坂入長太郎君 説明員 大蔵省銀行局保 険部長 新保 実生君 ————————————— 本日の会議に付した案件 ○支那事変国債償還に関する請願(第五二六五号) (第五二六六号) ○戦時中の強制疎開者
退職公務員の恩給、共済年金等に関する 請願外一件(齋藤邦吉君紹介)(第五〇 六七号) 三二七 同(山口敏夫君紹介)(第五一〇六号) 三二八 国及び地方公共団体建設関係職員に現場 手当支給に関する請願(井原岸高君紹 介)(第五一八二号) 三二九 王子野戦病院反対運動による地元住民の 被害補償に関する請願(河野密君紹介) (第五二一四号) 三三〇 戦時中の強制疎開者
――――――――――――― 五月十四日 王子野戦病院反対運動による地元住民の被害補 償に関する請願(河野密君紹介)(第五二一四号) 戦時中の強制疎開者に対する国家補償に関 する請願(柳田秀一君紹介)(第五二一五号) 旧軍人恩給の改善に関する請願(赤城宗徳君紹 介)(第五二八四号) 同外二件(内海英男君紹介)(第五二八五号) 同(田川誠一君紹介)(第五二八六号) 同(丹羽喬四郎君紹介
その結果現在は三階、四階等でもとの疎開者に優先的に渡しました部分を除きましては、大体九〇%くらい現在は埋まっております。ただ新橋と熱海、この二つだけは上に事務所を乗せてあります。事務所を乗せた場合がどうも私どもほかの事例と比べて考えますと、すぐに埋まらないという事態が出てきておるわけです。
○小平芳平君 だから局長、答弁が違うんじゃないですか、大臣と、実際はむずかしい問題が起きる、この新橋の場合でも、「ビルは建ったが入居募集できぬ、都と疎開者が熱い攻防戦」新聞にも出たことあるでしょう、これは民間にまかせてやっているんじゃなくて、都がそれこそ市街地改造法で全面買収して、それでやってもこういう問題が起きるわけですから、実際問題としては権利が複雑なところでこういう工事をやって、そんなにスムーズ
ことし、来年で営農資金の特別会計の資金も打ち切られるようでございますし、また、九万もそれぞれ離農しておるようでございますが、しかし、この開拓農こそ、の広野にさまよって農業をした人もございますし、あるいは戦時中都会から来ました疎開者もございますが、しかし、戦後二十年間営々として、この不便な土地、経済条件の悪い、立地条件の悪いところで、しがみついてやってきて、なお離村率が低い、約二割近いものは中高卒が定着