2021-02-24 第204回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号
そのため、一九四七年に分割され、一方が東京大学に残り、もう一方が国立予防衛生研究所、略称予研となりました。 予研の当初の設置目的は、感染症に関わる基礎、応用研究と、抗生物質やワクチン等の開発及び国家検定でした。米国のFDAをイメージしていたのかもしれませんが、英語名はナショナル・インスティテュート・オブ・ヘルス、NIHになりました。
そのため、一九四七年に分割され、一方が東京大学に残り、もう一方が国立予防衛生研究所、略称予研となりました。 予研の当初の設置目的は、感染症に関わる基礎、応用研究と、抗生物質やワクチン等の開発及び国家検定でした。米国のFDAをイメージしていたのかもしれませんが、英語名はナショナル・インスティテュート・オブ・ヘルス、NIHになりました。
当時の日本は連合軍の占領下にあったとはいえ、原爆投下の当事者である米国自身が調査するという矛盾に被爆者が抵抗を感じたのも無理からぬことでありますが、米国政府はABCCの運営を純粋の学術団体である米国学士院に委託し、また昭和二十三年からは、日本の国立予防衛生研究所、略称予研がこの調査に参加して日米共同研究の形をとりましたため、被爆者の方々の理解と協力も漸次得られるようになってまいりました。