1951-02-22 第10回国会 参議院 建設委員会 第5号
一体日本の土地調査というものは聖徳太子が一遍おやりになり、それからその次には太閤秀吉がやり、その次は明治十七年に土地條例ができて調べただけで、今日は土地が、畠地が何反歩あり、水田が何反歩あり、工場地帯がどれだけということがはつきり調査されていない、こういう状態において、挾くなつた日本において如何に土地を利用し、土地を開発し、例えば食糧政策を立てたところで、どれだけ開発しなければ農地として多いとか少いとかということは
一体日本の土地調査というものは聖徳太子が一遍おやりになり、それからその次には太閤秀吉がやり、その次は明治十七年に土地條例ができて調べただけで、今日は土地が、畠地が何反歩あり、水田が何反歩あり、工場地帯がどれだけということがはつきり調査されていない、こういう状態において、挾くなつた日本において如何に土地を利用し、土地を開発し、例えば食糧政策を立てたところで、どれだけ開発しなければ農地として多いとか少いとかということは
○三好始君 特殊な地域の問題なんですが、八月の末から九月にかけて西山委員と私とで愛媛県、滋賀県の出張でいろいろなことを調査いたしたのでありますが、そのときに愛媛県の西南部の段々畠地帶の状況を現地調査いたしました。
尚この際申上げますべきことは地方によりまして一毛作地、二毛作地の所得税を課するに、その基準が沢山違わない、例えて言えば山間の地において麦作が、畠地が一石しか穫れないところが、二毛作田において、水田において、相当し米の收穫が二石から二石五斗を穫り、麦作において一石五斗から二石近く穫れるところの土地も、一年中一回しか穫れないところの土地もその所得税を掛けるにおいて大した違いのないような、今日所得税賦課の