1954-10-12 第19回国会 衆議院 法務委員会 第74号
○鵜沢説明員 正確にはわかつておりませんですけれども、私たちの方といたしましては、乗船名薄に載つている方で、御遭難しておるのではなかろうかというので、留守宅あてに電報を差上げました。そうして正確にではないのですけれども、今日までわかつたのは約三十名ほど、乗船名籍に記入されていて、おりた方々がおられます。
○鵜沢説明員 正確にはわかつておりませんですけれども、私たちの方といたしましては、乗船名薄に載つている方で、御遭難しておるのではなかろうかというので、留守宅あてに電報を差上げました。そうして正確にではないのですけれども、今日までわかつたのは約三十名ほど、乗船名籍に記入されていて、おりた方々がおられます。
第二は、昭和二十七年以降留守宅あてに通信はあるのでありますが、いわゆる赤十字名籍に登載されていない者でございます。この総数が三十八名ございます。その三十八名のうちで、今回お帰りになつた方が、これは不確かな資料でありますが、死んだという資料を提供してくださつた方が、二人ございます。
またその第二の四の項目の最後の方に、留守宅あての通信の手交、一世帯一通の電報を出すということがありますけれども、これは家族に対する一番早い通知だろうと思いますが、これは、舞鶴の引揚援護局に引揚げてからでなく、できるならば、船の中で指導されるときに氏名がおわかりになつておるとすれば、その際に家族へ通知していただく。