1984-03-26 第101回国会 参議院 予算委員会 第11号
この交換は昭和三十九年から昭和四十年にかけまして行われまして、受け財産は四百二十五町歩、それから評価額は八千六百十八万円余、受け渡し財産は三百七町歩余、評価額八千七首九十九万円余で、交換差し引き百八十一万三千六百円となっているわけでございまして、二十年前でございますので、現在、取り急ぎ記録を基礎として調査したところでは以上のとおりであります。
この交換は昭和三十九年から昭和四十年にかけまして行われまして、受け財産は四百二十五町歩、それから評価額は八千六百十八万円余、受け渡し財産は三百七町歩余、評価額八千七首九十九万円余で、交換差し引き百八十一万三千六百円となっているわけでございまして、二十年前でございますので、現在、取り急ぎ記録を基礎として調査したところでは以上のとおりであります。
それから、北海道の畑作の位置づけということでございますが、わが国には百二十万町歩余の普通畑作がございますが、その三分の一の四十万ヘクタール余が北海道に位置しておるわけでございます。
そうして所要面積は百町歩余だと、名称は日本海軍石垣島飛行場、それで用地買収、用地代、地上農作物の撤去とその補償の有無等については追って通知をするということであった。しかるに用地買収価格の定めは後で一方的に低廉の代金が定められたが、不服はなかったが地上農作物の補償は皆無で、その損失の大なる損害をも聖戦協力の純心で応じたんだというふうに言っているんですね。
八十五万平方メートルということになれば大体八十町歩余になると思いまするけれども、その八・五町ぐらいがこの大口所有者の土地になるわけでございまするから、これをもし換地したという形の中で、土地が市価にすれば大体十万程度になるんだと。そして、これがこの公園都市で機能を発すれば、その地域の土地は最低でも二十万円ぐらいになるんだという、そういう意味でありまして、そういう意味も含めていまの答えですね。
したがいまして、当時、営林局からは四十四町歩余、百四十万円で払い下げを受けておりますが、その百四十万円の金は両協同組合が村に納めまして、一応村の歳入にいたしまして、それで村はその財源をもって国有林野当局に支払いをいたしているわけでございます。 当時、どうしてこういうことを行なったかということを、多少調査をいたしてみたわけでございます。
なぜ一体あとの百町歩余を対象にしなかったかという一つの疑問をわれわれは持つ。それから高根沢では不完全だというでしょう。面積も小さいでしょう。それならここに大きい面積があって、しかも条件がいいのに、悪いところへ何で移っていくのか。高根沢へ移るにしても、面積が小さければ、面積を拡大するだけのなぜ要求をしなかったのか。あなたのいうような御説明だとますますおかしい。
○加瀬完君 そうすると、その面積の百町歩余の見返りは、確実にこれは将来宮内庁経費として大蔵省のほうからもらえると、こう了解していいですか。
被害額につきましては、五月十六日現在で、県から報告がありましたものを集計いたしてみますと、降ひょうに関係をいたしました面積は十一万七千町歩余ということに相なっておりまして、被害の総額は、先ほど申し上げましたような農作物の種類別の被害を合計いたしまして、六億二千三百万円余ということに相なっております。
岩井町には国営の鵠戸沼土地改良区というのがありますが、その面積は約五百町歩余、千六百人の組合員がいる。この土地改良区が利根川から取り入れて用水に使用している水量のうち相当量の残水があるはずだから、この残水を工場側に割り当てることによって工場側の要望を満たすことができるのではなかろうか、こういうことで、実は、町長はじめ、工場を誘致するため議会でこの問題が検討されたわけです。
ですから、先ほどの二十七万一千町歩余のものも、これは私はもうそろそろこのあたりで一定のきちんとした方針を立てる。そうして現行法上どうしても始末のつかないような隘路があるとするならば、これらのものを解決できるような何らかの方法をとる時期ではないのか、こういうように思うのです。
その地域内に牧野池という大きな池がございまして、面積一つで二十町歩余もございます。ゴルフのクラブをかついだゴルファーがこれをながめて、もっとよい利用法ということで利用法を考えまして、ボートを浮かべ、魚を飼って運上を取った。よろしゅうございますか。ところが、いつの間にやらこれを関西の某財閥が取得したということになりました。
なお、つけ加えて申しますと、昭和三十年におきましては、総耕地面積が五百十八万町歩余に対しまして、自作地が四百七十一万町歩ということで、割合にいたしますと、大体九一%が自作地になり、約九%が小作地になっております。また、三十五年には小作地面積がなお少なくなりまして、現在では総耕地面積に対しまして約六・七%程度の小作地が、なお残っているというふうなことになっております。
これを年間にいたしますと一万五千町歩ということになりまして、四百四十五台の機械が開墾する計算の基礎であって、一台当たりの稼働能力が三十町歩余であります。公団の所有しております機械が百三十三台といたしますと、これから推算をしますと、年間四千町歩程度が限界だと思われます。間違いありませんね。——といたしますと、公団の機械が大体三〇%しかいかない。
現に中海には二千五百町歩余にわたって干拓計画が昭和三十八年には着工というところにまできております。それには綿密ないろいろな技術的な検討の結果、干拓面積が算出をされ、そして流れに対する水圧との関係、いろいろな調査に基づいて出されたのだと思いますが、そういうものがにわかに滑走路の両側にできるというようなことに対する要請を受けられたのでありますか。
それから苗代の再仕立てを行ないました関係面積が約二千町歩、それから種もみの購入というようなことで処置をいたしました面積が千三百町歩余あったという報告を受けております。これらにつきましては、災害の前例等もございますので、適切な助成を行なうよう、目下さらに内容を詰めて関係省との折衝に移る段階まで固めてきつつあるわけであります。
で、水源地帯におきまして、現在全然木がはえていない場所、あるいはまた木がはえておりましても非常に点々とはえている、早急に造林をいたしまして水資源の涵養なり国土保全という面を強化しなければならないという造林地が、二十三万町歩余現在残されているわけでありまして、この地帯の造林に国として特段の力を入れまして、治山治水緊急措置法等の関連をもってこの造林を早期に完成していきたい。
今後、公団が造林をいたします場合に、先ほど申し上げましたように、二十三万町歩余を造林するわけであります。この中で市町村有林が約九万町歩余、部落有林が四万町歩余、私有林が九万町歩程度でありまして、この程度を予想いたしておるわけであります。その九万町歩の私有林につきまして、パルプ会社の持っているものは半分であるとかというふうにはわれわれは考えていないのであります。
一年間に十万町歩余の造林事業を対象にした際、年間七千万石余の伐採、十万町歩余の造林を、林野庁の機構、人員でやった方が公団よりも優位性もあり、能率的であるのは、私たちがしろうと考えでもわかることと思うのですが、これを公団を作ってなぜやろうとするのか、もう一度。
○政府委員(山崎斉君) これに対しましては、この資料にも御説明いたしております通り、二十三万二千町歩という面積をやっていこうということ、しかもそれが現に保安林であるものと、それから保安林整備臨時措置法による保安林整備計画の範囲内の土地であるということ、それと二十三万二千町歩というものが、さらに所有区分等で見てみますと、市町村有林が九万町歩余、部落有林が四万町歩余、私有林がやはり九万町歩余というふうな
○政府委員(山崎斉君) 先ほど御説明いたしましたように、三十年度から三十五年度までの間におきまして、官行造林によりまして水源林を造成いたしましたものが四万町歩であるのでありまして、このうちにおきます私有林の面積は七千六百四町歩となっているのでありまして、当初御説明いたしましたように、十二万町歩というふうな大きな対象の中におきまして、七千六百町歩余がこの官行造林によって造林せられたわけでありまして、この
二十九年度から三十五年度までに四百二十五件、面積にして十六万町歩余を買い上げているのであります。それから(ロ)といたしまして、保安林整備計画の進捗状況、国有林、民有林、保安林の種類別という形に、この進捗状況を掲上いたしているのであります。 それから二十三ページに三十六年度以降に行なおうといたしております水源林造林の道府県別、所有別にどういうふうに今後やる計画であるか。
大正九年に官行造林が実施されてからすでに四十年の歴史を持っておりまして、その間、三十四万町歩の造林が行なわれ、今後なお昭和四十四年までの九年間に二十三万町歩余の造林を行なう計画を立て、すでに国が契約をしておる面積も三万町歩に及んでいるのでございます。
○山崎政府委員 法改正以降に官行造林によりまして植栽いたしました面積は、三十五年度末までを合わせまして四万二千六百町歩余になるのであります。