2020-03-10 第201回国会 参議院 内閣委員会 第3号
市村町長からは、小布施では、民間主導で昔ながらの風情を残す町並みの整備を行っていて、近年では、町内外の若者や大学、企業等との協働や交流を通じた町づくりが行われているという説明がありました。派遣委員からは、大学との官学連携における課題、関係人口創出のこれまでの取組と成果等について質疑が行われました。
市村町長からは、小布施では、民間主導で昔ながらの風情を残す町並みの整備を行っていて、近年では、町内外の若者や大学、企業等との協働や交流を通じた町づくりが行われているという説明がありました。派遣委員からは、大学との官学連携における課題、関係人口創出のこれまでの取組と成果等について質疑が行われました。
このスライド十七の宮城県丸森町の事例では、五年で六十名ほどの学生が参加して、古文書の調査、それから年度末一回展示会をやりまして、町内外から毎回百名前後が来場しています。丸森町も原発の放射性物質の被害ですとか、その風評被害に苦しんでおるところで、こうした歴史の掘り起こしが復興支援でもあり、また地域の活性化につながるのではないかと考えております。
人口一万二千人の町ですけれども、この間、白紙撤回を求める署名が町内外で十七万人以上集まっております。町と議会、住民が一体となって反対運動に取り組んでおります。 副大臣にお尋ねしますが、環境省は、このように塩谷町が町を挙げて計画に反対しているということを承知しておられますか。
益城町のとある食料販売品店では、補助金を活用して移動販売車を購入して、町内外の出張販売やイベント等で地元の食材を使った新商品を販売するなど、町のアピールにも貢献する好事例も出てきております。 平成二十八年度第二次補正予算においても、被災地の要望も踏まえまして、同様の措置を継続することとしております。
○林国務大臣 高木副大臣から答弁がありましたけれども、まさしく同感でございまして、今富田先生から御指摘があったように、東洋町に関しましては、NUMOの全国公募に応じて、そして町内外の議論を経て、結局取り下げるということになったわけでありますけれども、ここは住民理解がまず先だろうということだと思っておりまして、住民の理解よりも自治体の判断が進行してしまった一つの例ではないんだろうかというふうに感じます
その中で、御指摘いただきました、新しい生活を始める方々に対しましては、移住資金や住まいの確保に要する費用に対応するために必要十分な追加の賠償、そして、町内外の復興拠点の整備によるコミュニティーの維持などの支援を進めることとしております。このような施策を活用しまして、自治体と連携しながら、住民一人一人に寄り添った支援をまず進めたいと思っています。
すなわち、早期の帰還を進める地域については、安全、安心対策の具体化や農業、商工業再開の環境整備、長期にわたり避難を余儀なくされる地域については、町外コミュニティーの整備、そして新しい生活を選ぶ方には、必要十分な賠償や町内外の復興拠点の整備等を進めることとしています。
また、帰還困難区域を始めとした地域については、移転先、移住先での新しい生活を始めるために必要な追加賠償の円滑な実施とともに、町内外の復興拠点を整備し、コミュニティーの維持が図られるように努めてまいります。このような総合的な取組を通じて、国が前面に立って福島の復興を加速させてまいります。 福島復興の体制強化についてお尋ねがありました。
近隣の藤里町でも同様に、地元の藤里中学校生徒や町内外の学生などがボランティアとして毎年恒例の排雪に参加し、独り暮らしの高齢者から感謝されています。雪の重みでの住宅倒壊や除排雪に伴う事故などの雪害の防止に貢献するものと評価をしているところでございます。 東日本大震災の折にも、被災県での学生ボランティアの活躍が報道されております。
また、旧五十崎町でございますけれども、この町は鎌倉時代から始まったとされる大だこ合戦が非常に有名でございまして、毎年五月のこどもの日に空高く乱舞する様子は町内外から多くの人々を呼び寄せています。
開会式で、非常にすばらしいお天気だったのですが、たくさんの人たちが町内外から集まっておりました。 わずか五分ぐらいの実行委員長としてのスピーチだったわけでありますけれども、本当に、昨年以来の大変な苦労、そして昨今の状況、あるいは自分たちがさまざまなキャンペーンを通じて白老牛は安全だというのを、自分たちの足で、道内各地あるいは一部本州まで出かけて、一生懸命取り組んできた。
また荒木川との合流地点でははんらんした水が大分交通国東線を寸断し、防潮堤を砕き海に流れたのであり、このため町内外は廃墟と化し、二十名の死者を初めその惨状は目を覆わしむるものがありました。県南東部の大南地区におきましては降雨量は五百ミリに達し、大野川を初め判田川、北界川等八カ所の河川はんらんが相次ぎ、戸次、判田地区の平坦部で千七百戸が浸水、千六百ヘクタールの田畑が冠水するに至ったのであります。