2019-05-13 第198回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第2号
それで、最後ちょっと、私の地元の関係なんですが、国道二十号という旧五街道、甲州街道があるんですけれども、これは非常に、神奈川県部分、狭くてトラックとトラックが通過できません。大渋滞が起きる。ちょっとこれは信じられない状態になっていて、しかも事故が結構起きているということで、順次、拡幅、歩道整備が進められてきておるんです。
それで、最後ちょっと、私の地元の関係なんですが、国道二十号という旧五街道、甲州街道があるんですけれども、これは非常に、神奈川県部分、狭くてトラックとトラックが通過できません。大渋滞が起きる。ちょっとこれは信じられない状態になっていて、しかも事故が結構起きているということで、順次、拡幅、歩道整備が進められてきておるんです。
特に東京都でも第一京浜、第二京浜、それから青梅街道、甲州街道でも、都内に二十三区の中に七十キロあるというんですけれども、そのうちの二十キロが七十年間計画決定のままほったらかしにされていると。 計画決定になると原則二階までしか建てられないわけですよ。例えば高度商業用地域であって、十一階建てのコンクリートのマンションが建てるところであっても二階まで。それを七十年間ほったらかしにする。
次の質問に入りますが、これは各テレビ、新聞等々でも大変取り上げられている話でありますが、国道二十号、甲州街道の渋滞をどのように緩和していくのか。 この問題の一つとして、例えば、十分前にしかバスが入れない十分間ルールという要因が原因ではないかという声も聞いております。
やはり橋の架け替えとか、なかなか知られていないんですけれども、甲州街道の南口の橋は架け替えがやっと終わったんですけれども、これは国道に架かっている鉄道をまたぐ橋でございますけれども、これが、七十年しかもたないところが九十年間もたせましたけれども、やはりこういう老朽化した公共財というのはたくさんあると思います。
昭和四十五年といえば、私は東京で小学生だったんですけれども、まさに高度経済成長で、甲州街道の近くに住んでおりましたので、大きなトラックが排気ガスや砂じんを巻き上げて走る、そういった時代だったと記憶しております。
第一京浜、第二京浜、甲州街道、青梅街道、都内ですけれども、この道路に関して、道路の拡張計画が昭和二十一年に計画決定されているわけですね。
江戸と京とを結ぶんだったら東海道、もっと言えば、要するに甲州街道を通ってもいいんですよ。ところが、わざわざ奥へ行っているのは、日本列島が山深くて、あの辺は中部山岳地帯、日本列島の幅が一番南北に長いところだからこそ、一番奥の方に回って国土軸をつくっているんですね。まさに日本全体のためのインフラ整備をやるというのは、あの江戸時代から思っているわけですよ。
先ほど私、四か所しか申し上げなかったんですけど、第一京浜、第二京浜、青梅、甲州街道。東京都内、今おっしゃったのは着工したプラス面をおっしゃいましたけど、まだまだ大きい道路以外にもかなりの部分が計画決定をもう数十年前にやって、そのままほったらかしにされている場所はあると思うんですが、あるか教えていただけますか。私は幾つか認識しておりますけれども、どのくらいあるのかお教えいただけますか。
甲州街道は、都市計画決定の幅員で整備済みの状況でございます。 これら四路線でございますが、先ほど申し上げたとおり、昭和二十一年に都市計画決定がされております。四路線の二十三区内の延長が約七十キロでございます。順次事業を実施し、これまで五十キロにつきましては都市計画の幅員でおおむね事業が完了しております。
○藤巻健史君 じゃ、現実問題としてお聞きいたしますけれども、現在の第一京浜、国道十五号線、それから第二京浜、青梅街道、甲州街道で拡幅計画が計画決定されているというふうに理解しておりますが、計画決定がされてからそのままになっているところ、要するに事業決定若しくは予算が付いていない、買収が終わっていないところ、それはどのくらいあるのか、そしてその計画決定はいつ計画決定がされたのかをお聞きしたいと思います
でございますけれども、この二パラの事故があったのかどうかということに加えまして、青山通りにおいて大きな渋滞が発生したと書いてあるけれどもこれは事実関係はどうなのかという御質問だったというふうに思いましたので、そのようなことで、事故については、先ほど申しましたように、実際としては故障車両の発生でございましたということと、それから青山通り等について大きな渋滞ということでございますが、渋滞情報によれば、甲州街道
○政府参考人(鈴木正規君) 一般道の関係でございますけれども、大臣は、甲州街道、井の頭通り、そして青山通りに入ってくるという形で入るものでございますので、そういうことで、この間につきましては通常大体四十分弱で着くということでございましたが、それ以上の時間が掛かったということで、同乗していた者は渋滞があったという認識でこのような記載をさせていただいたところでございますが、実際には渋滞情報が出ておりましたのは
新宿の名前は、甲州街道の宿場として江戸の時代に内藤新宿が開設されたことに由来しています。新宿区は元々宿場のまちとして誕生したわけです。 ところで、皆さん、新宿区といいますと、新宿駅西口の超高層ビル群や歌舞伎町といった繁華街のイメージを思い浮かべるのではないでしょうか。実際は、緑濃い住宅街や地域の風情ある商店街も新宿のもう一つの顔です。
じゃ、日本の車道空間で本当にないのだろうか、そういう空間がないのだろうかというのを見てみたいと思いますが、その下でございますが、これは甲州街道の写真でございますが、一応、仮に車が止まっておりましても、正規の車線幅を、路肩と車線幅を取りますと、大体次の車線との間に一・五メートルから一・七五メートル、これは諸外国の専用レーンの幅が一・五メートルということが標準になっておりますので、それ以上の空間を確保することはできるわけでございます
実は、ここは、国道二十号、甲州街道が下を通っておりまして、もう一つは都道も下を通っておる、こういう道路が下に二つ通っている駅でございます。こういった道路の問題も含めて、さらには駅広の部分も含めて、または駅周辺の商店街の活性化の問題も含めて、こういった全体像をしっかりと自治体の方もつくっていかなければいけないと思うんです。
大臣はよく私の地元を訪れていただいたことがあるんですけれども、この週末、地元の八王子市では、大正天皇の御逝去のときに植えた甲州街道沿いの約六百本のイチョウ並木が大変立派になりまして、そのイチョウ並木を活用したいちょう祭りというのを二十五年前から行っておりまして、二日間で四十万人ぐらいの人出でにぎわいました。
それから、間もなく春のお彼岸が近づいているわけでありますが、八王子の南インター、ジャンクションのところは甲州街道のちょうど接点のところでございまして、春、秋のお彼岸あるいは暮れの帰省客等につきまして交通渋滞がもう大変ひどいものがあるわけであります。 十四年度には圏央道が開通するわけであります。
先日も、東京都の方でも、一番渋滞の激しい甲州街道のところで、今、鉄道と道路と結びつけていろいろな乗り入れ、相互乗り入れができるような施設をつくるというようなことで、極力桜田先生のおっしゃっているような方向づけで一生懸命努力しておりますから、よろしくお願いします。
八十キロというと、どうも東京でいえば環八だとか甲州街道、そういう広い道でないと走れない。 推定無罪というのは知っていますけれども、推定有罪、つまり、目撃者もいない、そして被害者の供述、本人は否認、こういうことで有罪というふうになっているんですけれども、先ほどの人権教育の問題は、これは検察官にも言えることだと思うんです。 タクシー運転手をやられている方にさまざまな経歴の方がいる。
それから、山梨県の小菅村、これは東京の奥多摩の裏側になりますけれども、ここでもやはり各種の事業を使いまして交流拠点を整備して、ここは水がきれいだということと、甲州街道の裏街道に当たるということで、伝統芸能なども残っておりますので、そういうものも発掘をいたしまして、やはり年間十万人程度の入り込み客。
現在、私どもで既に発表いたしました一つの例でございますけれども、新宿の南口の跨線橋が大変古くなっておりまして、ある程度かけかえの時期というもの、これは当然鉄道側のいろいろな要請もあるわけでございますし、御協力も得なきゃいけないわけでございますが、南口の甲州街道の部分をどうかけかえるのか。大変常時混雑をし、交通が麻痺している状態が多いわけでございます。
多摩地域は、御存じのように、東西の道路も、新青梅街道にしても甲州街道にしても、一日じゅう渋滞している。南北はもっともっとひどい。あかずの踏切等々がございまして、非常に交通のひどいところでございます。こういう中で一つに絞るなどというのは到底考えられない、そういうふうに思うわけです。
また、中央高速道路とか甲州街道、JRの中央線、南武線とかさまざまなこういう住民の生命にかかわるもの、命やライフラインにかかわる一番の中枢機能がここに集まっているという状況でございますので、断層が動くのは五千年に一度だから、そんな一々心配していたら切りがない、そういう回答なのかもしれませんが、しかし、やはり私は、最大の危機に備えて準備をする、それが国土庁の役目なのではないか、このように思っておりますので