1964-03-13 第46回国会 衆議院 運輸委員会 第17号
○田邊政府委員 ただいま議題となりました水先法の一部を改正する法律案の提案理由につきまして御説明申し上げます。 最近、わが国経済の急速な進展に伴って、主要な港湾及び内水を航行する船舶は、急激に増加するとともに、大型化、高速化しつつありますが、この船舶交通の実情にかんがみまして、これらの水域における船舶交通の安全を確保し、かつ、運航能率の増進をはかることが現下の重要問題となっております。
○田邊政府委員 ただいま議題となりました水先法の一部を改正する法律案の提案理由につきまして御説明申し上げます。 最近、わが国経済の急速な進展に伴って、主要な港湾及び内水を航行する船舶は、急激に増加するとともに、大型化、高速化しつつありますが、この船舶交通の実情にかんがみまして、これらの水域における船舶交通の安全を確保し、かつ、運航能率の増進をはかることが現下の重要問題となっております。
○田邊政府委員 ただいま当委員会におきまして御決議をいただきました趣旨に基づきまして、国鉄の本来の使命を十分認識をいたしまして、この御決議の御趣旨に沿いまして事故対策の万全を期するよう、最善の努力を払う決意でございます。 ————◇—————
○田邊政府委員 三団体は政府の方針を前提として業務を進めるべきものである。政府の方針に反して業務を進めることはいかがかと思います。従って、政府の方針がそうであって変らない以上、その前提のもとに仕事をするほかありませんので、当初定められた日程に従って興安丸は出港するであろうということを期待しております。また、日本側における入国の手続ないしは乗船許可の手続が済み次第、当方から逐次電報を打っております。
○田邊政府委員 私どもはそういった方々は実はないと思っておったのでございますが、今お話しの通り、よく調べてみますと、少数まじっておったようでございます。数は今正確に知りませんが、四百名のうち一割もないごく少数のものです。
○田邊政府委員 三団体においては、その後においてもいろいろ協議はしておるようでありますが、どういうふうに折衝になっておりますか、詳しく伺っておりません。
○田邊政府委員 興安丸は、舞鶴を出港して向うに到着して、内地に帰って参りますまで、出発、到着を入れて前後六日間でありまして、停船料、入港料など合計いたしますと、一航海千四百万円要るわけで、これは運輸省の予算から支出せられるわけであります。そのほか、引揚者の食費その他医者等の手当は別でございます。船が行くだけで千四百万円要るわけであります。
○田邊政府委員 そういうことは予想したくないのでございますが、入団を拒否するということは、入国管理法の建前上むずかしいのではないかと思っております。これは入国管理法の解釈の問題でございまするが、今日までのところの私どもの承知しておるところによれば、従来の例によれば、そういうことではないかと考えております。
○田邊政府委員 現在の援護法においては、お説の通りの処置であります。ただし、陸海軍の要請に応じて戦闘に参加された場合におきましては、弔慰金を差し上げておるわけであります。この弔慰金を差し上げる対象につきましては、法文の趣旨に従ってできるだけ広く差し上げるようにいたしておる次第であります。年金にするかどうかという問題は、検討を要する問題だと思います。
○田邊政府委員 さように思います。
○田邊政府委員 大束亜戦争の開始直前にインドネシア、旧蘭印地区でありますが、そこから引き揚げたのは五千七百名であります。それから大東亜戦争の末期に内面洋から引き揚げたのが、十八年十二月から十九年九月まででありますが、一万六千名を越しております。マレー、シンガポールから帰ったのが約千名。これは陳情で、その他ビルマ地区、中南支沿岸都市から相当多数帰っているようであります。
○田邊政府委員 この点につきましては、各府県の認定の事務がばらばらにならないようにするということが一番大事なことでございます。協力を求めた結果ばらばらになっては困るわけであります。その点につきましては、慎重な態度をもって臨みたいと考えております。
○田邊政府委員 引揚者が戦争犠牲者として特にその被害の甚大であったという点を是正しようという趣旨でございますれば、そういう犠牲は国の責任でございますので、これは国の責任と考えております。
○田邊政府委員 その点につきましても、全国的に統制をとって参りたいと思っております。
○田邊政府委員 未帰還者留守家族援護法におきましては、未帰還者として取り扱っております。
○田邊政府委員 死亡した人の数は調べたことがあるのでございますが、傷痍者の数につきましては正確な調査はございません。ただ、ざっとした見当では、傷の重い人、いわゆる重度傷痍者といっておりますが、重度傷痍者と申しますのは、手の指が一本なくなったとか、軽い方は別といたしまして、大体二、三百人程度であろうと承わっております。
○田邊政府委員 国交が回復しておるのでございますので、正式の外交交渉におきまして解決することが一番いい方法だろうと思います。そのためには、私の方から帰国を希望しているという現実の氏名をあげまして、外務省を通じてソ連側に強く調査並びに送還方の要望をする、これ以外に方法はなかろうと思っております。その手続を今とっている次第であります。
○田邊政府委員 目下この閣議決定の要綱に従って法律案を作成しておりまして、近く法律案が決定いたしますれば国会に提出することになりますので、その際またあらためて十分御審議をいただきたいと思います。
○田邊政府委員 櫻井さんの言われたことがよくわからないのですが、三十九名とか何名とかいうのは、私どもあまりよく知らない数なんです。
○田邊政府委員 人数は千名足らずでございます。
○田邊政府委員 朝鮮、台湾出身の軍人、軍属の方で戦没された方々の遺族の処遇につきましては、今日恩給法及び遺族援護法におきましては処遇をいたしておらないのでございます。御承知の通り、恩給法におきましても、また遺族援護法におきましても、遺族の範囲として、要件といたしまして、日本の国籍を持っているということが一応の、要件になっております。従いまして、この法律では処遇いたしかねるのであります。
○田邊政府委員 お答えいたします。昨年の秋、福岡県で保管しております朝鮮関係の戦没者の遺骨につきまして、朝鮮人関係の団体の方の御出席を得まして、福岡県で慰霊祭を行なった次第でございます。
○田邊政府委員 非常にむずかしい問題でございますが、これはみんなで考えなければならぬ問題だと思います。役所が一方的に事務的な見地からだけでこれを取り扱ってはいけない問題だと思います。委員会の先生方にも十分教えていただきまして、最も適当な時期にいたしたい。これは、先ほどお述べになりましたような留守家族援護法の年限が三年延びております。
○田邊政府委員 数はそう多くはないと思っております。具体的に何件あったかということは、目下私の方で積極的に調査をいたしておりませんが、私どもの耳に入る件数といたしましては、そう多くはないようでございます。
○田邊政府委員 御質問の点は、恩給法上の取扱いの問題ないし解釈の問題だと思いますから、恩給局長からお答えしてもらいます。
○田邊政府委員 私の方で、調査上、把握している数字につきましては、その人の最後の生存しておった場所によってそれを把握しておりますから、現在満州に何名いるかということは、確認できないわけでございます。しかし三万七千名といった方々のうち、大部分は満州地区だと考えておる次第であります。
○田邊政府委員 ソ連、中共地域におりまする未帰還者の数は、現在生存しておる者及び死亡しておると思われる者、いわゆる状況不明者でございますが、含めまして、五万余名と相なっております。
○田邊政府委員 約三万七千名でございます。
○田邊政府委員 再発の問題でございますが、終戦直後に帰還した人であって、現在その病気が再発している場合できるかというお話でございますが、これは残念ながら法律上できないことになっておるわけであります。
○田邊政府委員 法律の許す範囲内においてできるだけ善処したいとお答えになったのだと思いますが、なお速記録を調べましてお答えしたいと思います。
○田邊政府委員 来年の十二月が三年目になります。
○田邊政府委員 ソ連からお帰りになった方々の当面の一番大事な就職の問題につきましては、ただいま御指摘の通り、及ばずながらできるだけの努力をしているつもりでございます。しかし、まだまだ不十分の点が多々あろうと思います。
○田邊政府委員 靖国神社は、国家に功績のあった方をお祭りするということでございますので、軍人軍属以外の方であってもお祭りされている例があるということは私承知いたしております。個別ケースとして、現在でもその建前は変ってはおらないと思いますが、しかし、大部分は、公務で倒れた軍人軍属がおもであると思っております。
○田邊政府委員 現地除隊の当時とった手続をわれわれの方でどうするかという問題につきましては、なお今後も十分に慎重に検討いたしたい、こう申し上げているわけでございます。
○田邊政府委員 靖国神社の詳細のことはあまり詳しく知りませんので、また適当な機会に所管のところからお答えするように委員長にお願い申し上げます。
○田邊政府委員 無名戦没者の墓につきましては、まず敷地を選定することが先決問題でございますので、いろいろ敷地について検討いたしておりますが、関係各方面にいろいろ御要望がございまして、まだ最後的な決定に至らないで、今日に至っておるような状態でございます。お話の通りこれが閣議で了解決定がありましたのは二十八年の暮れでございました。
○田邊政府委員 残留者に対して出すという方法はございませんので、お帰りになったときに差し上げる、こういう趣旨であります。
○田邊政府委員 約二百万円でございます。
○田邊政府委員 本年の三月二十七日付で北鮮の赤十字社から日本赤十字社にあてて、かねてから安否照会をしておりました抑留者または未帰還者のうちの二十七名について品等が参ったのであります。その中にただいま御指摘になりました浜田三三子さんという方がございまして、一九四六年の六月十九日に五年の刑を受けておられた。それで受刑服役中に爆死をせられたという結果がわかったという通報があったのであります。
○田邊政府委員 この通知は北鮮の赤十字社から日本の赤十字社にあったわけでありまして赤十字社は厚生省にこの通知を、情報があったことを連絡してくれたわけでございますが、情報としてはおそらく外務省にも行っておるのではないかと思っております。また一般的な情報としては常に緊密な連絡をとっておりますので、連絡はあった思いますが、特に賠償の問題として外務省に申し入れたことはございません。
○田邊政府委員 従来興安丸で持っていっている例があると思います。現在ソ連政府と日本郵政省と連絡しているような、ああいうやり方は現在のところやっていないのではないかと思います。