2016-10-04 第192回国会 衆議院 総務委員会 第1号
総務省からは田林副市長初め、経産省、国交省からも若手の職員が出向され、職員と一丸となって取り組みをされておりました。大変心強く、頼もしく思ったところでございます。ぜひとも、予算措置初め人的な支援も引き続きしっかりとお願いしたいと思うところでございます。 もう一点、伺わせていただきます。 今回のこの補正予算において、マイナンバーの関連の予算が計上されております。
総務省からは田林副市長初め、経産省、国交省からも若手の職員が出向され、職員と一丸となって取り組みをされておりました。大変心強く、頼もしく思ったところでございます。ぜひとも、予算措置初め人的な支援も引き続きしっかりとお願いしたいと思うところでございます。 もう一点、伺わせていただきます。 今回のこの補正予算において、マイナンバーの関連の予算が計上されております。
四枚目のスライドですけれども、私の経歴としましては、田林晄一先生のグループで新しいチーム医療体制確立のための活動をやってきておりまして、二〇〇七年から、七年前からやってきておりまして、二〇一〇年の五月には厚労省のチーム医療推進のための看護業務検討ワーキングで働かさせていただいております。
次に、宮内庁に伺っておきたいんですが、二〇〇四年三月二十四日の参議院で、当時の田林均書陵部長さんは先ほどの答弁書の趣旨のことを答弁しておられますが、絶対年代が明確でないから現在の治定を維持すべきだ、そういう趣旨の答弁だったんですが、その点、やはり今考えなきゃいけないときだと私は思うんです。
これは、当時全農の理事長である田林理事長が私との委員会でのやりとりの中でお認めになられていることでございます。 他方、三年前の同じころには、政府の知的財産推進計画二〇〇四が発表され、ジャパン・ブランド、日本ブランドの世界への発信ということが我が国の大きな戦略目標となったわけでございます。
これは、先ほど申し上げたとおり、全農の前の理事長である田林さんもお認めになられていることです。そうではないかと。 そういうことを許さない、さらには、DNAの解析によってジャパン・ブランドを確立する、そして国際ルールの中でそれが果たして整合するのかどうか、専門的にもうちょっとしっかり私を納得させるような議論を検討会でしていただきたいですよ。
○田林参考人 大体、年間一万一千トンから一万二千トンをやっておりますので、この六年間で七万トン程度だと認識しております。
さらに、大臣を初めといたしまして政府の皆さん、きょうはさらに全中の山田専務さんや全農の田林理事長さん、農林中金の上野理事長さんにもお運びをいただいておりますことに改めて感謝を申し上げさせていただきたいと思います。ありがとうございます。
きょうは、山田専務、田林理事長、本当にありがとうございました。上野理事長さんは何もお聞きできなくて大変、郷土の先輩なものですから、ちょっと遠慮して聞かせていただけませんでしたけれども、また今後とも御指導をよろしくお願い申し上げたいと思いますし、田林さん、ぜひこれからも仲よくおつき合いください。 終わります。
○田林参考人 今申し上げたとおりでございます。それをもって偽装に関連づけるほど密接な関係にあったというふうには考えておりません。
拉致被害者等支 援担当室長 小熊 博君 内閣府政策統括 官 山本信一郎君 内閣府男女共同 参画局長 名取はにわ君 内閣府国民生活 局長 田口 義明君 内閣府食品安全 委員会事務局長 齊藤 登君 宮内庁書陵部長 田林
○政府参考人(田林均君) 正倉院の宝物は、光明皇后が聖武天皇の御遺愛品を東大寺に献納されたものが中心になっております。我が国の最高の古文化財でありますが、何分千二百年という星霜を経ておりますので、いずれの宝物も少なからず脆弱化しておりまして、宝庫から持ち出して移動するということには非常に危険を伴うために大変慎重を期しております。
本案審査のため、本日、参考人として、全国農業協同組合中央会会長宮田勇君、全国農業協同組合連合会代表理事理事長田林聰君、全国共済農業協同組合連合会代表理事理事長前田千尋君、とぴあ浜松農業協同組合代表理事組合長松下久君、東北大学大学院農学研究科教授両角和夫君、以上五名の方々に御出席をいただき、御意見を承ることにいたしております。 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
○堀込委員 時間がだんだんなくなりましたので、田林参考人と前田参考人、一問ずつちょっと質問しますので、簡単に。 一つは田林参考人に、全農の部門別収益公開の問題でございますが、私も部門別に収支をはっきりするというのはわかるんですけれども、全農はもう三十七県だか八県入っているんですよね。
次に、田林参考人にお願いいたします。
○政府参考人(田林均君) 継体天皇は継体天皇二十五年、西暦五三一年に崩御し、それから現在の継体陵に埋葬されたと考えられておりますが、この陵の築造年代につきましては、はっきりした絶対年代というものを確定することが困難でございますが、その継体天皇崩御の前後というふうに考えられます。
○政府参考人(田林均君) これは古墳の定義にもよりますが、現在、宮内庁で管理しております陵墓のうち古墳の数は百二十一でございます。内容的には、陵が五十九、墓が三十二、陵墓参考地二十八、その他二でございます。
○政府参考人(田林均君) 二十六代の継体天皇ですが、没年は継体天皇二十五年、西暦五三一年でございます。生年については、日本書紀によれば、生年は四五〇年となっております。
実は、大阪に金剛生駒国定公園というのがあるのですが、そこに接して、昨年一年間大河ドラマの舞台となりました、太平記の里ですね、その舞台となったところの大阪の宮田林市の東条という地域、ここの山間の農業地域、田畑のあるところなんですが、実は産業廃棄物の処分地としては大阪の場合は堺七-三区の埋立地とか、南北二カ所で新たなフェニックス計画による産廃処分地などがあるのですが、そこへ持っていくと検査が厳しい、金がかかる
ところが、従来から、この亀岡市から下へ水がはくということで断面を広げると、京都市の田林原堤が危ないということで、あそこの保津峡のダムを広げることはやらなかったわけです。そのために、亀岡市で、人家の浸水常襲地域というのが、逆流問題として常に問題になってきたわけです。そういう地域がある。