1979-03-16 第87回国会 衆議院 大蔵委員会 第13号
私は田中財政時代からよく言っておるのですけれども、年々二五%も予算を伸ばしていくなんというばかなことはない、そんなことをすれば財政が破綻することは決まっておるということを何回も言っている。最近になって十何%ということになっていますが、この問題については二つありますね。
私は田中財政時代からよく言っておるのですけれども、年々二五%も予算を伸ばしていくなんというばかなことはない、そんなことをすれば財政が破綻することは決まっておるということを何回も言っている。最近になって十何%ということになっていますが、この問題については二つありますね。
福田財政になってから田中財政と変わって、公債によるところの財政の運営方式に変わったということは、これはまさに日本の財政史に残る歴史的な問題だと私は思うのです。しかも、それは減税をかかえた公債依存財政、こういうふうに言えると思うのです。減税というものをかかえている。そうして公債を発行してこれに依存していく。自然増収が公債に振り変わった、こういう財政転換が行なわれたわけですね。
ところが、田中財政と称する田中大蔵大臣は、いわゆる高度成長下の財政方針は超均衡健全財政であって、四十年度はその超という字はのくけれども、均衡健全財政というその立場は堅持するのだということを強調されたと思うのです。
○田畑金光君 質問したいところまで答えましたので、それは省略しますが、ただ、その大臣の答弁を聞いておりますと、私は時間の関係もありますからあれこれ議論はいたしませんけれども、結局こういうような問題が起きてきたのも、池田・田中財政の私はやはり落とし子だと思うのですよ。
今日のこの財政経済の実態というのは、いままでの超高度成長政策をとってきた、いわば池田−田中財政の私は大きな責任であるといってもこれは過言でないと、こう考えますが、どうでしょう。
○国務大臣(田中角榮君) 池田−田中財政、佐藤−田中財政と言われても、あまり差はございません。ちょうど池田内閣の最後の段階におきましては、高度成長を企図しましたから、超高度成長が行なわれまして、その過程において、いい面もありました。
これから一年ないし二年になるかもわかりませんが、いずれにしてもその間に田中財政、いわゆる高橋財政といわれ、池田財政といわれたようなそういうものを私が打ち出せるというような気負い立った気持ちはございませんが、いずれにしましても、両院において理解を得られ、また御賛成、御鞭撻が得られるような方向で十分努力をしてまいりたいと思いますので、引き続き新しいアイデア等でございましたら、いろいろ御教示を賜わりながら
少なくともそういう点では、そろそろ田中さんも田中財政くらいの名前が出てきてもいいのじゃないか。田中さんらしい財政が一つも出てこない。これはまことに遺憾なことだと思うのでありますが、そういう観点についてどういうお考えを持っておられますか、お伺いしたいと思います。
ここでひとつ田中財政をつくるために一〇%で中央突破するかと考えてみたのですが、それは誤りだということを私はそこで承知をして、現在御審議を願っておる予算を組んだわけであります。それはなぜかというと、予算によってすべて国際収支や物価の安定を期せるものではない、予算とは別な意味を持っているものであります。
○佐藤(觀)委員 これはいろいろ理由があると思うのですが、田中さんは御承知のように民間出の、いままでとは型破りの大蔵大臣でありまして、そういう点では非常に期待されておりますが、どうも田中財政という声が出ない。何かいままで大蔵省の事務官のやっておることをやっておるような感じがしてまことに残念であります。