1987-08-21 第109回国会 衆議院 大蔵委員会 第5号
そうしますと、昭和二十一年十二月十九日、第九十一議会、ここで田中萬逸さんという代議士が衆議院におきまして国会法案というものの提案理由の説明を行っておるのであります。大変重要でありますからここをちょっと読み上げますと、 ただいま議題となりました国会法案について、各派を代表いたしまして提案の理由を説明いたします。
そうしますと、昭和二十一年十二月十九日、第九十一議会、ここで田中萬逸さんという代議士が衆議院におきまして国会法案というものの提案理由の説明を行っておるのであります。大変重要でありますからここをちょっと読み上げますと、 ただいま議題となりました国会法案について、各派を代表いたしまして提案の理由を説明いたします。
国会開会式が、戦前の帝国議会開院式と全く異なる性格のものであることは、第九十一議会において、国会法の提案理由を述べた田中萬逸議員が、従来の開院式は皇室儀制令にその規定があり、かつその開院式によって議会に活動能力が与えられたのであり、今後の国会では、召集即開会となるので、法律的にいえば開会式は不要であります、と述べていることからも明らかであります。
永年在職議員として表彰された元本院副議長田中萬逸君は、去る五日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 同君に対する弔詞は、先例により、議長において今九日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
員 林 百郎君 事 務 総 長 山崎 高君 ————————————— 本日の会議に付した案件 内閣委員外十四常任委員選任の件 内閣委員長外十四常任委員長の選挙 開会式に関する件 小委員会設置の件 小委員及び小委員長の選任等に関する件 国務大臣の演説に関する件 国務大臣の演説に対する質疑の件 立法事務費の交付を受ける会派の認定に関する 件 元副議長田中萬逸君逝去
終わりましてから、ただいま御決定願いました元本院副議長田中萬逸先生に対する弔詞の御報告がございます。以上をもちまして本日の本会議は終わります。
○福永委員長 次に、元本院副議長の田中萬逸君逝去につき弔詞贈呈の件についてでありますが、去る五日、元本院副議長田中萬逸君が逝去されました。 ここにつつしんで哀悼の意を表します。 つきましては、同君に対する弔詞贈呈でありますが、前例に従いまして、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を本日の葬儀に議長から贈呈していただくことになっておりますので、御了承を願います。
一方、与党たる自民党を見ますると、前回の総選挙には、旧地主団体の全国的統一体であるところの全国農地解放者同盟から、自民党候補者百六十八名の推薦を受け、この団体をフルに活用されているのみならず、現に、田中萬逸氏の会長を初め、有力なる自民党の国会議員二百余名がこの同盟の各種の役員に就任いたしておられ、同盟本部事務所は、ついこの間まで衆議院内の自民党民情部の中に置かれておるという実情であります。
三十二年暮れ、時あたかも衆議院の解散を目睫にいたしまして、旧地主団体が、「自民党がわれわれのめんどうをみないならば、選挙に際し一票もやらぬ」と声明するなどの一幕があったためか、自民党幹部のあっせんとなり、現在の全国農地解放者同盟が結成され、自民党の実力者である田中萬逸氏が会長に就任いたしております。一時は国会内の一室にその同盟の事務所の看板があげられたこともあるようであります。
○中村(時)委員 そうするとこの団体の長になっておるのは、御存じのように田中萬逸さんが常任顧問としてやっていらっしゃる。名前は申しませんが衆議院議員の方々、参議院議員の方方、これらの方々が顧問として就任していらっしゃる。衆参両院の二百六十三名の人が顧問に名を連ねている。
それからさらに山崎さんがなくなられてから、三十三年三月になって現在の田中萬逸さんを、やはり自民党の中から指名をされて、これを会長に推戴した、こういう表現をとっております。 こういうふうに自民党との関係は中央、地方ともに非常に深いわけであります。そうして前に同僚中村委員が指摘されましたように、自民党のいわゆる民情部の中にこの団体の事務所が設けられておった。
それはこの団体には田中萬逸氏が常任顧問としていらっしゃる。衆議院議員では、そこにいらっしゃる淺香忠雄さん、原健三郎さん、濱地文平さん、参議院の大谷さん、木暮さん、小柳さん、この六人が就任していらっしゃる。同時に自民党の中で衆参議員の二百六十三名が顧問をしていらっしゃる、こういう団体ができているわけなんです。
○中村(時)委員 もう一つその前提にお願いしておった田中萬逸会長、それから佐藤貞氏、この二人に対する証人の問題、それから農地証券の問題はここにあります。それでこの資料要求の一部は出ておりますが、もう一つ団体におけるところの役員名簿だけでもせめて要求をしておったのでありますが、この資料は大体いつごろできる御予定でありますか。
そこで私は、現在の農地解放者同盟に対する今の資料に不十分な点があるということになるならば困るので、この田中萬逸さんを本委員会に参考人として呼んでいただきたい。
ただ田中萬逸さんはわが党の長老でありますが、この方が会長になられて、前にいろいろありました二つの団体が発展的解消を遂げて一つの団体になった、こういうふうに私は理解をいたしております。
この団体は、かつて分裂に分裂を重ねていたのでありますが、三十二年の暮れ、選挙を控えたところから、自民党幹部があっせんし、現在の全国農地解放者同盟が結成され、自民党の実力者である田中萬逸氏が会長となっていることは、御承知の通りであります。しかも、この団体の顧問には、現自民党代議士のうち百数十名が名を連ね、圧力団体として、しょうけつをきわめているのであります。
昭和三十年一月二十三日(日曜日) 午後一時四十九分開議 出席委員 委員長 受田 新吉君 理事 田嶋 好文君 理事 原 健三郎君 理事 本間 俊一君 理事 櫻井 奎夫君 荒舩清十郎君 佐々木盛雄君 田中 萬逸君 高田 弥市君 井手 以誠君 石山 權作君 加賀田 進君 森 三樹二君 大西 正道君
佐瀬 昌三君 佐藤 榮作君 佐藤善一郎君 佐藤 親弘君 佐藤洋之助君 坂田 英一君 坂田 道太君 迫水 久常君 塩原時三郎君 篠田 弘作君 応司 一郎君 助川 良平君 鈴木 善幸君 鈴木 正文君 瀬戸山三男君 關内 正一君 關谷 勝利君 田口長治郎君 田子 一民君 田鶴 好文君 田中伊三次君 田中 角榮君 田中 萬逸
小車 久雄君 小林かなえ君 小林 絹治君 小峯 柳多君 佐々木盛雄君 佐藤 榮作君 佐藤善一郎君 佐藤 親弘君 佐藤洋之助君 坂田 英一君 坂田 道太君 迫水 久常君 助川 良平君 鈴木 善幸君 鈴木 正文君 瀬戸山三男君 關内 正一君 關谷 勝利君 田口長治郎君 田子 一民君 田嶋 好文君 田中伊三次君 田中 萬逸
昭和二十九年十一月十二日(金曜日) 午前十一時十四分開議 出席委員 委員長 川島正次郎君 理事 赤城 宗徳君 理事 櫻井 奎夫君 佐々木盛雄君 田中 萬逸君 堀川 恭平君 松井 豊吉君 石山 權作君 加賀田 進君 辻原 弘市君 池田 清志君 池田 禎治君 受田 新吉君 矢尾喜三郎君
昭和二十九年十一月十一日(木曜日) 午前十時五十三分開議 出席委員 委員長 川島正次郎君 理事 赤城 宗徳君 理事 山口 好一君 理事 櫻井 奎夫君 田中 萬逸君 堀川 恭平君 石山 權作君 加賀田 進君 辻原 弘市君 池田 清志君 椎熊 三郎君 長谷川四郎君 池田 禎治君 受田 新吉君
大蔵事務官 (銀行局総務課 長) 谷村 裕君 参 考 人 (住友信託銀行 株式会社名古屋 支店長) 平井 光治君 専 門 員 椎木 文也君 専 門 員 黒田 久太君 ――――――――――――― 十月二十八日 委員田中萬逸君辞任
昭和二十九年十月三十日(土曜日) 午前十時四十九分開議 出席委員 委員長 川島正次郎君 理事 赤城 宗徳君 理事 田中 好君 理事 永田 亮一君 理事 櫻井 奎夫君 田嶋 好文君 田中 萬逸君 松井 豊吉君 石山 權作君 加賀田 進君 森 三樹二君 池田 清志君 池田 禎治君 受田 新吉君
昭和二十九年十月二十九日(金曜日) 午前十時三十三分開議 出席委員 委員長 川島正次郎君 理事 赤城 宗徳君 理事 田中 好君 理事 永田 亮一君 理事 山口 好一君 理事 櫻井 奎夫君 田中 萬逸君 石山 權作君 加賀田 進君 森 三樹二君 田中 久雄君 舘林三喜男君 池田 禎治君 受田 新吉君
昭和二十九年十月二十八日(木曜日) 午前十時四十八分開議 出席委員 委員長 川島正次郎君 理事 赤城 宗徳君 理事 田中 好君 理事 永田 亮一君 理事 山口 好一君 理事 櫻井 奎夫君 田中 萬逸君 石山 權作君 加賀田 進君 森 三樹二君 田中 久雄君 池田 禎治君 受田 新吉君 矢尾喜三郎君
昭和二十九年十月二十六日(火曜日) 午前十時三十九分開議 出席委員 委員長 千葉 三郎君 理事 有田 二郎君 理事 久保田鶴松君 理事 内藤 友明君 理事 井上 良二君 理事 山本 勝市君 大上 司君 大平 正芳君 田中 萬逸君 苫米地英俊君 福田 赳夫君 藤枝 泉介君 小川 豊明君 柴田 義男君