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38件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2015-05-21 第189回国会 衆議院 農林水産委員会 第11号

これは産業組合中央金庫としてできたんです。そして、よく日経新聞なんかでは間違ったポンチ絵が出ているんですけれども農林中金については漁協と森林系統機関でもあるということです。  そういったことも、産業組合以来、システムとしては伝統があるということはやはり考えるべきではないか。ぜひ、そのような観点から、今後、准組合員のことについても検討していっていただきたいと思うわけでございます。  

小山展弘

1986-05-13 第104回国会 参議院 農林水産委員会 第10号

参考人森本修君) 先ほど来いろいろお話がありましたように、農林中央金庫発足いたしました、つまり産業組合中央金庫が成立をいたしました当時は、産業組合なりあるいは農村資金関係が非常に窮迫をしておるというようなこと、その結果、系統資金も潤沢でないというようなことでありましたので、政府の方で出資する、あるいは財政資金といったようなものもたしか流れたかと思うんですが、そういうふうな形でてこ入れをしてまいりました

森本修

1986-05-13 第104回国会 参議院 農林水産委員会 第10号

これは設立のとき、大正時代にさかのぼって、産業組合中央金庫設立されたそのときと今日では随分違いがあると思いますけれども、それぞれのところで果たしてきた役割というのがあろうと思いますが、しかし、かなり設立時と今日とでは基本的な違いがあるのではないかというふうに私は思っているんです。  

稲村稔夫

1986-05-07 第104回国会 衆議院 農林水産委員会 第15号

後藤(康)政府委員 今回の法改正におきましては、所属団体に対する金融円滑化を図りますために、今まで農林中央金庫産業組合中央金庫というような形で大正末年に発足をいたしましたとき以来、貸付期間の制限でありますとか貸付区分あるいは年賦償還貸し付け限度額規制といったいろいろな規制がございまして、こういうものが現在の金融の実情に合わないということもございまして、撤廃をすることにいたしております。

後藤康夫

1986-04-23 第104回国会 衆議院 農林水産委員会 第14号

後藤(康)政府委員 今回の二法の改正の背景なり趣旨でございますが、農林中央金庫は、大正十二年に産業組合中央金庫として設立されて以来、もう長い歴史を持っておるわけでございます。昭和三十四年に政府出資がなくなり、三十六年に役員の自主的な選任制がとられるというようなことで、次第に特殊法人的な色彩をなくしますと同時に、業務面でもいろいろな整備が行われてきたところでございます。  

後藤康夫

1986-04-23 第104回国会 衆議院 農林水産委員会 第14号

それから第三に、事業の経常的な運営に要する経費について国などからの補助金に依存をしてないということで、いわば産業組合中央金庫として出発をしましたときの発足経緯というものと、あとは、農林中央金庫法政府出資資格者として規定をされているという点を除きますと、実態的に自主的な業務運営が行われており、実態的に民間法人に近い状態の運営がなされているという点が特に考慮されたものと私ども理解をしているところでございます

後藤康夫

1985-04-10 第102回国会 衆議院 商工委員会 第10号

そこで、そもそもどういう趣旨だったかということでございますけれども昭和の二けた代に入りましてからは、おっしゃるとおり昭和十一年の商中法しかこういう例がございませんのですが、そのときの経緯を調べてみますと、一番近くに制定された類似の立法例としまして産業組合中央金庫これは現在の農林中金の前身、前の名前でございますが、これが存続期間五十年ということになっております。

末木凰太郎

1973-06-26 第71回国会 参議院 農林水産委員会 第16号

農林中央金庫法改正の大きな問題は、大正十二年に発足した産業組合中央金庫が長きにわたり改正、整備されて、本年十月三十日に満了期限を迎えることから、金庫自体存続をはかるものであります。  産業組合中央金庫として設立されたときは、第一次産業産業別国民所得の割合を見ても、就業人口を見ても、その数は多くを占めていたのであります。  

塩出啓典

1973-06-15 第71回国会 参議院 農林水産委員会 第13号

政府委員内村良英君) 農協のあり方あるいは農家経済の変転に合わせて中金性格が変わるのではないかというような御指摘かと思いますが、確かに先生が御指摘になりましたように、大正十二年に産業組合中央金庫として現在の農林中金発足したときとは、農村の事情も非常に変わっていることは御指摘のとおりでございます。

内村良英

1973-04-04 第71回国会 衆議院 農林水産委員会 第13号

それについては、会員というのは生産者団体でなければならない、こういうふうにただいまの答弁でございましたが、言うなれば、大正十二年につくった産業組合中央金庫のときには、購買組合というのは、生協というのはその会員であった、こういう事実がございます。そういう沿革と今日の状況からして、生産者団体でなければならない、あるいはそれができなければ、農林中央金庫の定款の中で準会員制度というものはでき得ないのか。

野坂浩賢

1973-04-04 第71回国会 衆議院 農林水産委員会 第13号

野坂委員 次に、農林中金の点についてお尋ねをしたいのですが、それは大正十二年ですか、産業組合中央金庫というかっこうで発足をしています。五十年の期限が参りましたので、そのことが一番中心でございますが、今度の法律改正として出てきている、こう見ております。この法律改正に従って出てまいりました農林中金法改正について、農政審議会等でいろいろと議論をされたと思うのですが、この提出に至った経緯ですね。

野坂浩賢

1973-04-04 第71回国会 衆議院 農林水産委員会 第13号

内村(良)政府委員 先生承知のとおり、産業組合中央金庫時代信用組合消費組合産業組合法に基づく団体でございまして、これらは金庫構成員であったわけでございます。ところが、昭和十八年の団体再編成の際、都市消費組合のように、産業組合法に基づくものとして残ったものは排除しませんでしたけれども消費生活協同組合法に基づく団体となった消費組合中金に加入が認められていないわけでございます。

内村良英

1965-08-18 第49回国会 衆議院 大蔵委員会 第6号

昔は、御承知のとおり、私ども農林中央金庫も、戦争前までは産業組合中央金庫と称しまして、その産業組合の中には、農村産業組合市街地におげる産業組合、あるいは市街地信用組合一つの傘下におさめておった時期がございます。一体そういうような昔の姿に戻るのがいいか、あるいは都市化の、ほとんど農民もいない地帯――東京にもそういう地帯がございますし、関西にもそういろ地帯が多い。

楠見義男

1965-08-18 第49回国会 衆議院 大蔵委員会 第6号

それから、金庫性格は、これは御承知のとおり、金庫大正十二年にできたのですが、その当時は農村に――単協段階もそうですし、それから信連の段階もなおさらそうですけれども、金がなくて、むしろ今日の公庫のように資金運用部の金、あるいは簡易保険積み立て金の金を産業組合中央金庫の窓口を通じて末端に流しておったわけです。

楠見義男

1964-03-06 第46回国会 衆議院 農林水産委員会 第17号

一つの方法といたしましては、戦前日本でやっておりましたように、戦前は御承知のように産業組合中央金庫というものが、半額政府出資でございまして、三千万円の資本金のうち、千五百万円を政府が出しておりまして、しかもこの政府出資分につきましては設立後十五年間配当を免除する、つまりただの金を出資する、こういう仕組みを持っていたわけでございます。

大内力

1962-03-15 第40回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

これは戦争前におきましては、御承知のとおり、当時の産業組合中央金庫というものが三千万円の資本金を持っていたわけでありますが、その中の千五百万円は政府出資でございます。この政府出資は、創立後十五年間配当を免除するという形で、いわばただの金を産業組合中央金庫は千五百万円持っていたわけです。

大内力

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