1994-06-20 第129回国会 参議院 文教委員会 第4号
非常に産業戦士として多忙な中で父親不在という家庭の状況もあって、本当に子供が父から受け取るべきさまざまな資質というものを受けられない家庭が大変多いように思いますが、あの記事との絡みで、文部大臣として父親像についてどのようなお考えをお持ちか。ちょっとこれは質問の事項ではございませんでしたけれども、たまたまきょう新聞を拝見いたしましたので、一言お願いできればと思います。
非常に産業戦士として多忙な中で父親不在という家庭の状況もあって、本当に子供が父から受け取るべきさまざまな資質というものを受けられない家庭が大変多いように思いますが、あの記事との絡みで、文部大臣として父親像についてどのようなお考えをお持ちか。ちょっとこれは質問の事項ではございませんでしたけれども、たまたまきょう新聞を拝見いたしましたので、一言お願いできればと思います。
さらには、従来優秀な産業戦士をつくるために使ってきた奨学金、そういうようなものをもっと別の仕事をする人にも使わせる。これが文化庁その他がお使いになっている文化投資でありますが、こういうものを飛躍的に増大するということが実は本当の余暇の創造なのでありまして、これが新しい国家の一つの責務になっていると私は考えております。
高尾山の下にみころも堂という慰霊塔があり、毎年産業戦士の慰霊祭がありますが、こういうところにまで行ってやはり雰園気を盛り上げていくということ、それから起訴、司法処分の問題もありますが、最近のようなこういう社会連帯が唱えられて、社会的企業の責任が言われているときに、私の方の勧告を無視して事故を起こしたものは片っ端から司法処分にかける、こういう姿勢でやっております。
大企業なんか、政策金融で金利を安くしてあるところもあるけれども、こういう際に、産業戦士である労働組合なり、あるいは一般の中小企業者が営々として働いて家でも建てようというような場合は、実際その福祉金利みたいなものをつくって、大企業の政策金融に対抗するくらいのことをやったって不思議でないと私は思うんです。
産業戦士としてのその第一線で働いていた偉大なる労働者の皆さんが、労働災害のために瞬時にして生涯病床に伏していかねばならない、あるいは車いすにたよらざるを得ない言うならば灰色の生活、お気の毒でなりませんでした。私はこの肉体的、精神的な苦痛というものは当事者でなければわからないと思いますが、おそらく筆舌に尽くしがたい苦しみであろうと思いました。
かつては黒ダイヤの産業戦士としておだてて使いながら、今日はこれを弊履のごとく捨て去り、食うに職なく、妻子と別れのみじめな生活に追い込むような政策で、なんで人づくりができるでありましょうか。これら石炭労働者に対する職場確保から人づくりは始めなければならぬのであります。したがいまして、これが対策は、ひとり経営者にまかせるべき筋合いのものではないのであります。
○矢嶋三義君 大事な産業戦士ですから、人という、人命という立場からいっても、また企業という立場からいっても、これは極力押えるようにしなければならぬと思うのですがね。 時間がないから、参考に承っておきますが、中小企業千人中四十人と言いますが、国際的に見て、最も少ない国はどのくらいなんでしょうね。それから、統計をとっている国で最も多い国はどのくらいあるでしょうか、中小企業、大企業に分けて。
諸先生方におかれましては、私たち抑留中は帰還のためいろいろと御努力下さいまして、ここに私たち百六十七名の帰国実現を見たわけでありますが、以上お願いした件も、何とぞ私たちが海の産業戦士として再起できますよう御尽力下さいますようくれぐれもお願い申し上げます。終りといたします。
ことに軍需工場等に動員をせられた、当時の俗にいう産業戦士として国家の強権で働いたそれらの総数は、当時の、岸総理としてはその概数を御承知でなけらなければならない、お忘れになったのかわからぬ、私は十分それらにつきましては、大略の総数くらいはいつでも即座にお口に出るくらいに御留意を願いたいと思う。そういう総数がすぐここで大体のことが出ませんようでは、はなはだ私は遺憾に思う。
今度の大東亜戦に際しまして犠牲となられた方方は、旧軍人以外におきましても、産業戦士であるとか学徒動員でなくなった方とか、そのほか一般の原爆などでなくなられた方と、範囲が大きいのでございまして、国家としては、いずれかの時期に、これらの方々のみたまもお慰めしなければならないということを、私は考えておるのでございます。そこで、現在のところは、どの範囲になっておるか。
○小林国務大臣 今度の無名戦没者の墓は、先ほどから申し上げておりますように、引き取り手のないいわゆる無縁仏の方々の遺骨をお納めする墓でございますから、今お聞きのような産業戦士等においてお引き取り手のない人人の遺骨をどうするかというような問題等につきましては、私は、将来の問題として、直ちにここでこうこうするということを具体的に申し上げるわけには参らないと思います。
○堀内委員 厚生大臣にお伺いしますが、産業戦士、学徒動員等の、遺霊のことについては、どういうふうにお考えになっておりますか。
これら産業戦士の方々の霊を祭るということも私は大賛成であります。大賛成でありますけれども、それらの人と同時に合祀するということについては、これは大きな異論があることを、私は従来の私験から考えまして承知しておりますから、この点だけは申し上げておきます。
次に、遺骨とみたまでございますが、私は、ただいまの政務次官の御説明によりましても、産業戦士を初めとした一般の戦争犠牲者の中で引き取り手のない遺骨は、あるいはそこへ持ってくることがあるかもしれませんが、趣旨としては全英霊をお慰めするという意味において、ここに慰霊塔といいますか、そういうようなものをお建てするということではないかと思うのでございますが、その点が一点。
すなわち当初の昭和十六年後における産業戦士の生活を守るということ、いま一つは生産力拡充のための資金確保の財源としてこういうものが出て来たという二点を述べられましたが、現在の日本の客観情勢はその当時の情勢に非常によく似て来たと思う。
○杉山委員 月千五百円の基準が生活保護法にのつとつておる、こういうお話でございましたが、先ほども申し述べましたように、保護の人たちの生活を保護するということも、これは必要でありますが、大いに国家のために働いて、そうして自分の報酬の一部を積み立てて参りましたこうした産業戦士の年金としては、どうも私はあまりにこれは低過ぎやしないか、こういう感じを持つのであります。
こういうように官吏及び軍人には恩給があるが、産業戦士の恩給ともいうべき厚生年金でございますが、私は単にある特種の労働者のみならず、すべて国家のために働いておる人たちが同様に生活が保障されて行かなければならないと存じております。
その一つは当時の産業戦士の老後の生活を保障する、こういう一つの面、いま一つは、当時の国家財政というものに対して一つの財政上の資金を確保しようという面があつたと思う。すなわち強制貯蓄の形で勤労者の賃金の中から幾分の財政資金を貯蓄をして行く、こういう形があつたと思うのです。こういう二つの面があつて厚生年金制度というものの確立が企図せられたのではないかというニユアンスを感ぜられるのです。
それから炭鉱におけるけい肺の発生についてどうして発生するのかということについていろいろ考えてみたわけでありますが、これは炭鉱というものが、基礎産業として戦前、戦後を通じまして増産を強制されまして、労働者は産業戦士としてもてはやされた。そうしてそのもてはやされた蔭には酷使された。こういう結果が、その記念品がけい肺として現在の労働者の中に残つておるというふうにも考えられるわけであります。