1972-03-10 第68回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第4号
しかも先ほど三木委員から、長年の水じゃないかというお話でありますけれども、私どもが調べたところによりますと、国道三百十二号線をずっと行きますと、生野峠を越えて生野町の真弓地区、そのちょっと向こうに生野高校があるのですけれども、ここに宮谷川という川がある。その川に宮谷橋という橋がある。そのわきに市川の水を取り入れたときの開通記念碑が立っておる。それから後鉱毒水が入っておる。
しかも先ほど三木委員から、長年の水じゃないかというお話でありますけれども、私どもが調べたところによりますと、国道三百十二号線をずっと行きますと、生野峠を越えて生野町の真弓地区、そのちょっと向こうに生野高校があるのですけれども、ここに宮谷川という川がある。その川に宮谷橋という橋がある。そのわきに市川の水を取り入れたときの開通記念碑が立っておる。それから後鉱毒水が入っておる。
これは生野高校で起りました一例でございますけれども、そのほか多数の学校におきまして、校長を取り囲んで、繰り返し深夜に及ぶ交渉をいたしたのでございます。このために府立の高等学校の校長だけでも延べ十八人が入院しております。先月の下旬でございましたが、私の方の係員が大阪に参りましたときにも、そのとき現在なお九人の者が入院しておる。