1985-06-05 第102回国会 衆議院 文教委員会 第16号
遠足先で校長が、生活指導主事にピールを買ってこいと言って、個人的な用事を言いつけて買ってこらした。私は買ってきた人も注意をすべきだと思うね、生徒指導主事ですから。生徒を引率して行っておるんでしょう。そしてそれを買ってきて、校長だけが飲むのですよ。ところが、この校長は今度は青年教師を自宅で飲酒させ、自動車に乗せで帰らせているんですよ。
遠足先で校長が、生活指導主事にピールを買ってこいと言って、個人的な用事を言いつけて買ってこらした。私は買ってきた人も注意をすべきだと思うね、生徒指導主事ですから。生徒を引率して行っておるんでしょう。そしてそれを買ってきて、校長だけが飲むのですよ。ところが、この校長は今度は青年教師を自宅で飲酒させ、自動車に乗せで帰らせているんですよ。
いま一点、主任手当に関連して思うのでありますが、現在の教務主任、学年主任、生活指導主事、すなわち連絡調整及び指導、助言を職務とする人事院が指定する主任、これに支給対象を置いているわけですが、これは将来の問題として、主任というものは実際には五十種類ぐらいあるわけですね。たとえば同和教育に非常に力を入れている。これも大切な問題です。そういう主任さんもいらっしゃる。あるいは教科の御担当の主任もいる。
けれども、省令で現にある主事、たとえば生活指導主事とかありますけれども、これは委員会の中に全部ありますか。委員会規則にはないところがありますよ。あるのです。だから、それは実質的にはみんな校長の職務命令で二十八条でやっている。
これはずっと文部省の方の物の考え方からいえば、生徒部長というのがこの間、発表されたものの進路指導主事と生活指導主事の二つが入っている、兼ねている。教務部長というのは教務主任に当たるやつですよね。こういうのが出ている。「「部長は校務分掌」であることについてあなたはイ校務分掌であっても部長だけは県発令でよい」と考えますか。
また、学年主任もそういう意味では学年全体の教育活動の調整あるいは助言というようなことになろうかと思うんでありますが、進路指導主事とかあるいは生活指導主事といったような主任はむしろ直接子供に接してその生活指導なり進路指導なりをする、また同時に同僚の先生方について、それらの問題について言ってみれば専門的な見地からアドバイスをするということであろうかと思いますので、そういう意味では連絡助言あるいは指導助言
以上申し述べましたように、産炭地域における教育はきわめて憂うべき状況にありますが、これが対策については、他の石炭産業の不況対策等に比べて着手がおくれ、わずかに四十年度から生活指導主事の少数配置、就学援助費の補助率の引き上げ等が行なわれるようになってまいりましたが、きわめて不十分な現状といわねばなりません。
提案理由に書いてございますが、産炭地域の教育についてでございますが、四十年度から生活指導主事の少数配置、就学援助費の補助率の引き上げ等が行なわれてきた。しかし、これはたいした教育効果があがっていないと申しますか、十分な措置ではないというためにこういった特別立法を考えておられるようでございますが、それにつきまして文部省のお考えをお述べいただきたい。
以上申し述べましたように、産炭地域における教育はきわめて憂うべき状況にありますが、これが対策については、他の石炭産業の不況対策等に比べて着手がおくれ、わずかに四十年度から生活指導主事の少数配置、就学援助費の補助率の引き上げ等が行なわれるようになってまいりましたが、きわめて不十分な現状といわねばなりません。
以上申し述べましたように、産炭地域における教育はきわめて憂うべき状況にありますが、これが対策については、他の石炭産業の不況対策等に比べて着手がおくれ、わずかに四十年度から生活指導主事の少数配置、就学援助費の補助率の引き上げ等が行なわれるようになってまいりましたが、きわめて不十分な現状といわねばなりません。このまま推移すれば教育の崩壊を避け得ない事態が予想されるのであります。
以上申し述べましたように、産炭地域における教育はきわめて憂うべき状況にありますが、これが対策については、他の石炭産業の不況対策等に比べてほとんど見るべきものがなく、わずかに四十年度から生活指導主事の少数配置、就学援助費の補助率の引き上げ等が行なわれるようになったに過ぎません。このまま推移すれば教育の崩壊を避け得ない事態が予想されるのであります。
まず、カウンセラーの配置についてでありますが、これについては、四十年度から充て指導主事の配当による生活指導主事が配置され、ある程度の成果を上げているとのことでありましたが、あまりにも非行少年、問題児の多い現状ではその数が少なく、数校かけ持ちで対処している現状で、きわめて不十分とのことであり、学校現場にカウンセラー必置を求める声が強いものがありました。