1992-03-06 第123回国会 衆議院 文教委員会 第3号
その一つは、学習内容の精選、もう一つは、一クラスの児童生徒定数を思い切って削減をするなどきめ細かい学習指導が可能となる学級編制、教職員配置基準の改善、こういうことがやられるならば、これは成功するでしょう。しかし、それをしないで、これだけが先行していくとさまざまな世論の反発を受けることは必至だと思います。 時間がなくなってまいりましたから、障害児の子供さんたちに対するケースについて。
その一つは、学習内容の精選、もう一つは、一クラスの児童生徒定数を思い切って削減をするなどきめ細かい学習指導が可能となる学級編制、教職員配置基準の改善、こういうことがやられるならば、これは成功するでしょう。しかし、それをしないで、これだけが先行していくとさまざまな世論の反発を受けることは必至だと思います。 時間がなくなってまいりましたから、障害児の子供さんたちに対するケースについて。
○参考人(有田一壽君) 今御指摘のとおり、いろいろ教育環境の人間化、もっと学校らしい学校ということになりますれば、当然どなたが考えても教育条件が整備されなければ絵にかいたもちではないかということ、もうまことにそのとおりでございまして、私どもの方でも先ほど申し上げましたように、過大規模校の解消は当然ですけれども、学級生徒定数の適正化、それから小学校の上学年に教員を増置する、言いかえれば専科の教師を少し
したがいまして、恐らく次の答申において、教育条件、特に生徒定数その他教職員の配置の問題等含めまして教育の質を向上させるために、もっと言えば教育をもっとやりやすくするために可能な限りいろんな手だてを講じるということは、現実に答申の中にあらわしていくつもりでございます。
少数でしかも地方で金額が低くやれておるところと、高額でマンモス校であるいは生徒定数の二倍を超えるぐらいの収容をしながらでもやっておるというふうなところと対比した場合に、もう全く質的なものが違うわけなんです。
ところで、学級の生徒定数が多過ぎるということは、侵略戦争と切り離しがたくつながっていたのです。六十名では教師の能力にも限度があって、一人一人の個性を大切にし、その才能を十分に伸ばすことはできない。勢い大量的な詰め込み教育、修身科や歴史科が中心となり、「木口小平は死んでも口からラッパを離しませんでした」というあの軍国主義鼓吹で、大量生産、粗製乱造の肉弾が鋳型にはめられてつくられたのです。
――――――――――――― 五月二十三日 公立高当学校の設置、適正配置及び教職員定数 の標準等に関する法律の改正に関する陳情書 (第二五八号) 国立大学及び公立高校の授業料値上げ反対に関 する陳情書(第二五 九号) 小、中学校の一学級当りの児童、生徒定数に関 する陳情書 (第二六〇号) 文教施設の整備促進に関する陳情書 (第二 六一号) 公立学校女子事務職員の産休補助職員確保
そのときに、従来高等学校の生徒定数は一クラス五十名ということでございました。全日制は四十五名に改善いたしましたが、定時制は四十名にいたしました。しかし、それでよいとは思っておりません。たとえば、過疎化現象で分校等は統合されたりしております。
御承知のように標準法ができたわけでございますけれども、しかし一挙にそこまで行きがたいというようなことで、一学級当たりの生徒定数を、標準法では五十人にとっておるわけでございますけれども、毎年五十六人であるとか五十五人であるかと、逐次減らして参りまして、標準法に近づける努力をいたして参ったのでございます。
そうすると、生徒急増からピークが下降し始めたときは、これはそのときこそ三十とか四十とか、こうやろうという生徒数も、一学級の生徒定数も減らそうというお考えだと思いますが、やはりその時期にやるのでなくて、私どもが委員会で決議した趣旨というものは、冒頭にあなたが答えたように、できれば甲号基準、それをもっと手直しをして、そこまで一日も早く到達さしていく、そのために一つ新たにこういう法律を作ろうとしておるのですから